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2022年08月15日 19時16分53秒 | 日々の出来事


日が短くなりますね❗
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短命内閣?岸田内閣、改造失敗か 報道各社の世論調査、早々に支持率下落相次ぐ 識者「旧統一教会との関係に説明が求められる」

2022年08月15日 10時03分17秒 | 政治のこと
岸田内閣、改造失敗か 報道各社の世論調査、早々に支持率下落相次ぐ 識者「旧統一教会との関係に説明が求められる」



2022/08/13(土) 19:19:51


第2次岸田文雄改造内閣の発足と自民党役員人事を受け、報道各社の世論調査が出てきた。

従来であれば改造直後の内閣支持率は上昇するケースが多いが、読売新聞と日経新聞の調査では、前回調査から下落していた。ともに前々回から続落している。

岸田首相は参院選勝利の勢いで内閣改造・党役員人事に踏み切ったが、「失敗・不発」だった可能性がある。

(中略)




ただ、読売と日経、共同通信の世論調査(10~11日実施)の内閣支持率=別表=を見る限り、世論の評価は厳しいようだ。

日経では、新しい閣僚と党執行部の顔ぶれを「評価する」が30%で、「評価しない」は44%だった。

政治評論家の小林吉弥氏は「政治姿勢では、党内派閥に配慮した布陣で何をやりたいのか見えてこない。
政策方針では、新型コロナや物価高への対応に信念が見えず、指導力不足を感じる」と厳しく指摘した。

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と、自民党議員の関係も論点の1つだ。
共同では、旧統一教会と自民党議員との関わりについて、党や党所属議員の「説明が不足している」との回答が89・5%に上った。

前出の小林氏は「旧統一教会をめぐる自民党への批判が、岸田政権を直撃している。

秋の臨時国会は、新型コロナや物価高の対策・対応に加え、旧統一教会との関係にも説明が求められる正念場だ。

乗り切れなければ来年早々の解散に追い込まれかねない」と語った。



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台風で、川遊びの方々

2022年08月15日 09時08分29秒 | 日々の出来事
某河原での、出来ごとです。

流れに足を取られると、危ないですね❗

水難事故が、後を絶たないわけです。


8・14・2022
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 「本土決戦」のまぼろし 旧海軍が長野市安茂里に地下壕建設 【戦後75年】 地元有志が後世に伝える活動

2022年08月15日 06時03分30秒 | 歴史的なできごと
【戦後75年】「本土決戦」のまぼろし

 旧海軍が長野市安茂里に地下壕建設 地元有志が後世に伝える活動


元長野市長・塚田佐さん: 「祖父が父に向かって『海軍がこの山の中で穴を掘っているようではこの戦は負けだな』とはっきりそう言ってるのをこの耳で聞きましてね、子ども心にも納得したんですよ。


8/17/2020


特集は戦後75年・戦争の記憶です。「本土決戦」に備えて長野市の松代地区では、旧陸軍を中心に大規模な地下壕が掘られました。

一方、安茂里地区でも海軍が地下壕の建設を始めていました。このあまり知られていない壕を後世に伝えようと、住民が活動しています。 長野市松代町の「象山地下壕」。コロナの影響が続くこの夏も見学者は絶えません。 地下壕の工事は終戦の前の年の1944年から陸軍の主導で行われ、「本土決戦」に備え、政府の中枢を移転する計画でした。 

見学者(神奈川から): 「(壕が)本当に長いのでちょっとびっくり」 

見学者(群馬県から): 「本土決戦になったら、アメリカは容赦しなかったんじゃないかと思う」 

昭和天皇の住まいとなるはずだった「御座所」から小さな倉庫まで、いわゆる「大本営」の関連施設は善光寺平一帯に広がっていました。 松代から北西に10キロの長野市安茂里小市地区。この山の中腹にも地下壕が掘られました。斜面にぽっかり空いた穴。「大本営海軍部壕」です。


「昭和の安茂里を語り継ぐ会」が案内看板を設置

今月10日、この春できた「昭和の安茂里を語り継ぐ会」が案内看板を設置しました。週末の見学会に向け、内部を確認します。明かりをつけると…。 語り継ぐ会: 「中が見えますね、そのくらいの方がいいんじゃないですか」 1945年の7月初めごろに着工し、100メートルほど掘った所で終戦を迎えました。幅3メートル、高さ2.5メートルほどで、入口から20メートルほどの所で崩れていますが、さらに奥に続いています。 「語り継ぐ会」は、あまり知られてこなかった地下壕のことを伝えようと活動しています。

地下壕が建設された長野市安茂里小市地区

昭和の安茂里を語り継ぐ会・塚田武司共同代表(82): 「松代の壕はみんな知っているが、安茂里のことは本当に知ってる人が少なかった。戦争の負の遺産ですけど、こんなことがないように。今は幸せだなと思ってもらえれば良いと思う」

昭和の安茂里を語り継ぐ会・岡村元一共同代表(81)

会の共同代表で壕の近くに住む岡村元一さんは、実際に工事を見た1人です。 昭和の安茂里を語り継ぐ会・岡村元一共同代表(81): 「遠くからのぞき見ってことはありましたね。(壕の)前にバラック小屋みたいなのがあって、モーター回してましたね。削岩機を動かす圧縮空気をモーターでつくってたということでしたね




工事に協力した岡村さんの父親は、壕からこんな物を持ち帰っていました。 昭和の安茂里を語り継ぐ会・岡村元一共同代表(81): 「(Q.本当はもっと長かった)もっと長かったんですよね」 この板で壕の壁や天井を支えたと見られています。完成すれば1000人ほどが入ったと見られ、司令部など多くの部屋が作れたとみられています。 でも、日本が降伏せず、建設が進んでいたら…。 昭和の安茂里を語り継ぐ会・岡村元一共同代表(81): 「8月13日に長野空襲がありました。私ら飛行機飛んでるのを遠くから見ただけだけど、(安茂里で)実際にあったら大変なことになってたなと。この辺なんか壊滅状態になったんじゃないかなと」

大本営を研究してきた元高校教員の土屋光男さん

大本営を研究してきた元高校教員の土屋光男さん。陸軍より8カ月遅れた海軍の工事は、かなり慌ただしかったと見ています。 土屋光男さん: 「松代の大本営は陸軍主導で海軍の用地は結局無かったんですよね。いよいよ(東京から)松代に移転しなきゃいけないという時に、海軍の入る場所はということで慌ててここを選んだんだと思います」 土屋光男さん: 「これは、当時の戦時中の日記ですね」

当時の安茂里村長の日記

当時の安茂里村長の日記には、工事を急ぐ海軍の動きが記されています。 安茂里村長の日記より: 「7月26日、横須賀海軍工廠造兵部の薗田部隊勤務の墨谷助市大尉が訪れ、分教場を宿舎として借りたいと申しこんできた」 薗田部隊は、通信業務を専門とする部隊でした。 土屋光男さん: 「松代方面に出かけていろいろ作戦行動をしていたみたいですね。私の推測では通信設備の地下壕への造作をしていたのではないか」

元長野市長・塚田佐さん

長野市長を16年務めた塚田佐さんは当時9歳。家は海軍の宿舎になり、40人程が泊まっていました。 元長野市長・塚田佐さん: 「門の脇に24時間、番兵が、兵隊さんが立ってて学校から帰ってくると、銃をぱっと持って敬礼してもらえて、子ども心にも気持ちいいなと」 一方、軍に協力した大人たちは、内心では…。 

元長野市長・塚田佐さん: 「祖父が父に向かって『海軍がこの山の中で穴を掘っているようではこの戦は負けだな』とはっきりそう言ってるのをこの耳で聞きましてね、子ども心にも納得したんですよ。

大きな声で話してましたよ、親父もうんうんそうだなとうなずいていました」 玉音放送: 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」

 8月15日終戦。 元長野市長・塚田佐さん: 「将校は終戦になってからすぐ、庭でぼんぼん書類燃やしてましたよ。そっちの庭でもこっちの庭でも燃やしてた。重要書類、燃やしてたんじゃないですか」


隣の蔵へ移動して中を見せてもらうと…。

 元長野市長・塚田佐さん: 「これが海軍だな。海軍の(マークの)錨だ」 蔵には部隊が置いていった食器などが残る。 松代と安茂里に残る地下壕。塚田さんの目には、国民の命を軽んじたあの時代の象徴に映ります。

 元長野市長・塚田佐さん: 「(国の中枢を)松代へ全部移すというんだから、あそこだけ生きても、あとの国民みんなやられちゃえばどうしようもないよね。だけどそれを本気で考えたってことは怖いことだよね。戦争のそういう現実は後世に伝えていかないと後世の人が判断を誤るんじゃないかと、おかしいことはおかしいと言わなきゃね」

大本営海軍部壕(長野市安茂里)

「語り継ぐ会」は、「終戦の日」に地元の小学生を対象に初めての見学会を開く予定で、今後も戦争に巻き込まれた地域の歴史に光を当てていきたいとしています。 ※地下壕周辺は私有地で一般の方の立ち入りは制限されています。


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