同じ皇室でも思想や行動がまったく違う…天皇家と秋篠宮家の"兄弟確執"が解消されない根本原因
1/11(水) 17:17配信
0コメント0件
新年一般参賀であいさつされる天皇陛下=2023年1月2日午前、皇居 - 写真=時事通信フォト
■“冷戦”状態のきっかけは「人格否定発言」
このままでは「令和の壬申の乱」が起きるかもしれない。
【この記事の画像を見る】
イギリスのチャールズ国王の次男・ヘンリー王子が自伝『スペア』の中で、妻のメーガン妃に対して批判的な物言いをした兄のウィリアム皇太子と口論になり、兄がヘンリー王子の襟首をつかんで床に叩きつけたと主張しているという。
兄弟は他人の始まりというが、振り返って、この国の兄・天皇と弟・秋篠宮の関係も長年、“冷戦”といってもいいような状態が続いているのではないかと思い至った。
壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大友皇子が弘文天皇に即位したことを恨み、兵を挙げ、自害に追い込んだといわれる内乱である。
時代背景も人心も違う現代で、このようなことは起こりえないだろうが、似たような構図が天皇と秋篠宮にあることは否定できないのではないか。
天皇家と秋篠宮家との関係を年代順に見てみたい。
萌芽は2004年だった。
皇太子(当時)が会見で、
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と発言した。
「浩宮の乱」とまでいわれて騒ぎになった。
■「壬申の乱の勃発を招きかねません」
秋篠宮はそのことについて、
記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と苦言を呈した。
秋篠宮のいい分に利ありとメディアは挙(こぞ)って秋篠宮贔屓になり、雅子妃へのバッシングをさらに強めていった。
当時の首相だった小泉純一郎氏は、皇室に皇太子の次の後継男子がいないことを憂えて、2006年1月に「有識者会議の報告に沿って皇室典範の改正案を提出する」と宣言し、女性・女系天皇を認める方針を打ち出した。
だが、その直後の2月7日、NHKが「紀子さまご懐妊の兆候」というスクープを報じた。
当時官房長官だった安倍晋三氏は、
「神風が吹いた」と話したという。秋篠宮家に男の子が生まれるかもしれないのだ。
皇嗣典範改正の見送りに逡巡していた小泉首相に安倍氏は、「お子さまが男子の場合、皇室典範改正は正当な皇位継承者から継承権を奪うことになります」。さらに、そんなことをしたら「壬申の乱の勃発を招きかねません」と助言していたと、元NHK記者で、安倍氏と最も親しかったといわれていた岩田明子氏が文藝春秋(2022年12月号)に書いている。
そして、2006年9月6日、秋篠宮家に長男が誕生したのだ。
眞子さん、佳子さん、次代の天皇である長男・悠仁さんに囲まれた秋篠宮夫妻は幸せな家族の象徴となった。
だが、美智子皇后(当時)はそんな息子たちを見ながら、一人心を痛めていたという。
<deleted>
天皇陛下(当時)が心臓のバイパス手術を受けるために東大病院のICU(集中治療室)に入っていたときのことだという。
「実は、手術が終わったのち、真っ先に紀子妃殿下から病院関係者に『お見舞いに伺いたい』との打診があったのです。それを受け、医師団と侍従職が折衝し、一旦は手筈が整っていました。ところが、そうした動きをお知りになった雅子妃殿下(当時=筆者注)のご意向が、直前になって伝わってきたのです。それは、『順序が違うのではありませんか』という、強いご不快のお言葉でした」(さる秋篠宮家関係者) これにより紀子さんのお見舞いは叶わなくなったという。
<>
■メディアの「雅子妃バッシング」も燃えさかり…
「まず10月下旬、皇后さまのお誕生日の夕食会において、皇太子ご夫妻が途中退席されるという出来事がありました。また11月に入って悠仁さまの七五三にあたる『着袴の儀』が執り行われますが、お祝いの宴も皇太子ご夫妻は欠席されています」(宮内庁担当記者)
元々皇太子一家は葉山で静養する予定が入っていて、出席するつもりはなかったというのである。
また、同じころ、天皇が気管支肺炎で入院したが、見舞いは秋篠宮夫妻が最初で、皇太子は兄妹の中で最後になった。雅子妃は発熱のために行かれず、見舞いに行ったのは天皇が退院後、3週間以上も後だったと報じている。
「両妃殿下が確執の只中にある現状は、むろん皇室にとって由々しき事態である」(新潮) この当時は、適応障害でなかなか公務にも出られない雅子妃に対して、メディアが厳しい批判を繰り返していた。
公務には出ないのに、娘の愛子さんの修学旅行に付き添って高級ホテルに泊まったではないか。実家に何度も里帰りしているのはおかしいなど、雅子妃バッシングが燃えさかっていた。
2008年2月には、羽毛田信吾宮内庁長官(当時)が、公式の定例記者会見で、「愛子さまが両陛下を訪問なさる回数が少ない」と発言することもあったのである。
当時、秋篠宮に皇太子の位を譲るべきだという「廃太子論」までが雑誌に載ったこともあった。そのために美智子皇后は一計を案じたと、女性自身(2019年4月30日号)が報じている。
<>
■皇室典範が改正されたら、秋篠宮家はどうするのか
私は愛子天皇待望論者である。可能性はあると思っている。先のように、安倍元首相は愛子天皇を選択肢として考えていたようだ。
岸田文雄首相は何を考えているのか分からないが、このところの反撃能力容認、防衛費のGDP比2%増など、安倍元首相がやり残した路線を闇雲に突っ走っているように見える。
だとすれば、皇室典範を改正して女性天皇を容認することもあり得るのではないか。
そうなった時、秋篠宮はどう感じ、どう動くのだろう。紀子さんは天皇の母「皇太后」になることを心待ちにしているといわれる。
だが、仮に今上天皇が上皇と同じ年で退位したとして、その後を愛子さんが継いだとすれば、悠仁さんが天皇に即位するのは50代以降ということになるのではないか。
卑近な例で申し訳ないが、世襲企業がダメになる理由の多くは、跡目争いからである。
■兄弟が胸襟を開いて話し合うことが必要だ
高貴な生まれの方たちだから、そのようなことはないと思う。だが、小さな火種だが、このままにしておいては、安倍元首相がいったような“困った事態”になるかもしれない。
そのためには、天皇と秋篠宮が何度も会い、胸襟を開いて話し合うことが必要なこというまでもない。
今年、3年ぶりに行われた一般参賀に、愛子さんが初めて出席した。最初はやや緊張気味だったようだが、その初々しい姿が参列した人たちに「かわいい」と、好感をもたれたようだ。
これからは「皇室の顔」になる愛子さんを、このままどっちつかずの状態のままにしておいていいはずはない。愛子天皇実現には、表立ってはできないが、内々、秋篠宮の同意も必須であるはずだ。
子どもの頃、仲のいい兄弟だった2人だから、できないはずはない。2人が談笑している姿を、多くの国民も見たいと思っているのは間違いないのだから。