死神博士」天本英世の仰天人生…東大中退の「怪優」は、なぜ公園で寝泊まりしていたのか


8・19・2022
学徒出陣で上官に殴られ続けた
天本英世はデビュー当初、二枚目俳優の位置づけだった
『仮面ライダー』('71年~)の死神博士役で強烈なインパクトを残した天本英世が、俳優を目指したきっかけは虚無感だった。
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〈人生を捨てたつもりで、まさに乞食になるのと同じで俳優になった〉 自著でこう明かす天本は'25年、北九州の裕福な家庭に生まれる。
旧制七高に入ると、'45年に学徒出陣を強いられた。終戦を迎えるまで苦役に従事し、暑さで倒れると上官から水をかけられ、木刀で叩かれる日々。 自身で「完璧な劣等兵」と振り返るこの経験が、生涯を貫く反骨精神につながった。
七高を卒業して東大法学部に進学するも、生きる目標が見つからなかった。11歳年上の美女との失恋も相まって、数ヵ月通っただけで中退。 役者になると決意する。
いきなり『怪人』そのものに変わった
様々なツテをたどり、28歳で初舞台を踏むと、木下惠介監督に気に入られた。
二枚目俳優として売り出された天本は、『二十四の瞳』('54年)で高峰秀子の夫役に抜擢される。
だがここではセリフをうまく覚えられず、大失敗に終わったという。
次第に殺し屋などの悪役で実力を見せ、岡本喜八監督の『殺人狂時代』('67年)では大好評を得た。小説家の矢作俊彦さんが語る。
「天本さんが演じた殺し屋結社の委員長・溝呂木博士が、ナチスの残党を相手にドイツ語でまくしたてるシーンを見て、すっかり彼に惹きつけられました。 それまではアクション映画に欠かせない怪優でしかなかったのが、いきなり『怪人』そのものに変わったんです」
脇役への信念
天本が親交を深めたのは、古い友人や同郷人だけだった。
映画の美術スタッフとして働いたときに同郷のよしみから天本と親しくなった、料亭「金鍋」の5代目当主・真花宏行さんもその一人だ。
真花さんは、天本が映画・テレビ業界を辛辣に批判していたと振り返る。
「主役と脇役のギャラの格差があまりに大きすぎると苦言を呈していました。主役だけでなく脇役も、映画には大事であると強く思っていたんです」 己の信念を貫く天本の姿勢は、私生活で顕著に表れる。
両頬を引っぱたく
生涯独身だったが子供が大好きだった
天本は20代の頃にカントやパスカル、ニーチェなどの哲学書を読み漁った。
自分は何のために生きているのか……こんな哲学的な問いを考えようとしない日本人たちを深く憂えた。
また、筋を通さない日本人に対しては容赦なく怒った。
死神博士役やクイズ番組で有名になった天本が道を歩いていると、若い男の盗撮に気づいた。
天本は男の右頬を平手打ちし、
「人間を断りもなく撮っていいという法はないのだ!」と言った後、左頬も引っぱたいたという。
ファミレスで仕事依頼を受ける
私生活では、生涯独身を貫き、「放浪生活」と散歩を楽しんでいた。
「天本さんは、渋谷区の一戸建てで30年間ひとり暮らしをしていましたが、家にはこだわりがなく、修繕を一切しなかったので、雨漏りがひどく住めなくなった。
そこで、60代後半には公園で寝泊まりし、昼間は近所のファミレスで過ごしていました」(前出の真花さん) 映画関係者はそのファミレスに電話をし、天本に仕事を依頼したという。
明日のことなど考えず、今日だけを必死に生きるという哲学は、天本が愛したスペインに学んだ。
20回ほども訪れては放浪し、「自分はスペインで死ぬんだ」と友人に言い続けた。
天本の遺灰は遺言に応じた友人らが、'05年にスペインの川で撒いた。
「週刊現代」2022年7月23・30日号より 写真提供/天本英世記念館をつくる会