豪雨災害は毎年起きている
写真:現代ビジネス
2020/07/14
九州を中心に西日本と東日本の広い範囲で甚大な被害をもたらした、今回の一連の豪雨。とりわけ被害の大きかった熊本県では、13日時点で死者数は68人にものぼっている。
【写真】「この単語が入った地名に要注意」あなたの街は大丈夫?
過去に例のない期間、規模で発生した大雨に対し、気象庁は「令和2年7月豪雨」と命名。今なお梅雨前線は本州付近に停滞しており、14日、15日にかけて全国的に更なる大雨が発生する可能性について、警戒を呼びかけている。
振り返れば、一昨年の「平成30年7月豪雨」、そして3年前の「平成29年7月九州北部豪雨」と、毎年のようにこうした豪雨災害が発生している日本。にもかかわらず、被害が抑えられる気配は一向にない。
その理由として、広い範囲で被害を及ぼす地震などに対して、局地的に発生する豪雨災害の「記録」、そして「記憶」が人々の間で浸透されにくい点が挙げられる。
例えば、今回の豪雨被害の中心となった九州は、前述の「平成29年7月九州北部豪雨」でも同様の被害に見舞われた。この時、注目を集めたのが福岡県朝倉市に伝わる、水害にまつわる伝承だった。
2017年8月27日付の西日本新聞には、以下のような記事が掲載されている。
〈松末(ますえ)、志波、山田…。7月の九州豪雨で大きな被害が出た福岡県朝倉市内の地名が、300年ほど前に起きた水害の被災状況を記録した古文書にも残されていた。同市宮野の南淋寺が所蔵。今回の豪雨では寺周辺でも犠牲者が出たが、住民の間で過去の水害は知られていなかった。〉 これはあくまで一例だが、世界で最も災害の多い国である日本において、我々の先祖たちは、災害の恐ろしさを後世に伝えるため、様々な手段を用いている。その代表例が「地名」だ。
災害と深く関係している「あぶない地名」とは、一体どのようなものなのか――。現場検証を通じて明らかになった地名の数々を、改めてご紹介しよう。
「住みたい街」に隠された歴史
自由が丘(Photo by iStock)
都内屈指の高級住宅街、東京都目黒区自由が丘。「住みたい街」ランキングでは常に上位にランクされるこの地に、戦後から暮らす80代の男性が自由が丘の過去について、驚くべき証言をした。 「この辺りには、かつて大岡山から大蛇が襲ってきたという言い伝えが残っています。おそらく水害をなぞらえているのでしょう。今では考えられませんが、かつてこの地では、子供が溺れる水難事故が多かったようです」 男性によれば、2014年秋のゲリラ豪雨の際、家の目の前のマンホールから水があふれ、蓋が浮くほどだったという。
現在の目黒区自由が丘、緑が丘、世田谷区奥沢にあたる地域は、かつて「衾(ふすま)村」と呼ばれていたという。その由来は諸説ある。『郷土目黒』(目黒区郷土研究会発行)によれば、かつてこの地が「谷に挟まれた“はざま”の土地」であったことから、それが転訛して「ふすま」と名付けられたとしている。 他にも、馬が足を取られやすい湿地であったために、それが「伏馬(ふしま)」と言われ、後に「衾」へ転じたという説もある。どちらにせよ、この地域一帯は谷間にある低地で、周辺の川から水が流れ込みやすい場所だったのだ。
実際に、今でも自由が丘には水害の危険性がある。この地域のハザードマップを見ればそのことが手に取るように分かる。東急大井町線の自由が丘駅から緑が丘駅に至るまでの線路脇を実際に歩いてみると、住宅が密集して立ち並んでいるが、ハザードマップによれば、家屋の2階まで届く2m以上の浸水が予想されているのだ。
自由が丘をはじめ、日本全国には「○○が丘」や「○○台」、あるいは「希望」や「光」といった明るい意味の単語を使った地名は数多い。そのほとんどは近年つくられたばかりの新興住宅地。ところがそうした場所は、古い地名が災害と関係していることがしばしばあるという。
「地名情報資料室」を主宰し、『この地名が危ない』(幻冬舎新書)などの著書をもつ地名評論家の楠原佑介氏はこう語っている。
「新地名が一つ誕生すると、少なくとも数個の旧地名が抹消されます。そうなるとその土地に根付く伝承、それこそ災害の歴史も人々から忘れ去られてしまいます。残念なことに今の日本には『聞こえの悪い地名は変えてしまえ』という風潮が蔓延しています。
不自然に明るい印象を受ける地名が付けられる背景には、行政や企業が災害を示す旧地名、いわゆる『あぶない地名』を隠そうとする意図が見られる場合もあるようです」

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