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川島芳子。明治四十年(一九〇七年)
清朝粛親王の王女として北京で生まれる。
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<東洋のマタ・ハリ>川島芳子 | 文春写真館 - 本の話 (bunshun.jp)
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- 2009.01.05
- 文春写真館
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<東洋のマタ・ハリ>川島芳子
文・写真:「文藝春秋」写真資料部
- 「文藝春秋」写真資料部
- 川島 芳子
「東洋のマタ・ハリ」川島芳子。明治四十年(一九〇七年)清朝粛親王の王女として北京で生まれる。満蒙独立運動に奔走していた川島浪速の養子となり、後に上海で情報活動をしていた陸軍少佐田中隆吉と懇意になり、深く戦争と関わることになる。
昭和六年(一九三一年)、満州事変勃発。北京から天津に逃れていた宣統廃帝溥儀は、甘粕正彦率いる関東軍の手引きで旅順に脱出した。このとき天津に残された皇后婉容を旅順に護送する大役を果たしたのが川島芳子である。満州国建国にともない、安国軍(定国軍)が創設され、芳子は総司令に就任する。
昭和八年二月二十二日付け朝日新聞は、軍服の写真とともに「男装の麗人川島芳子嬢 熱河自警団の総司令に推さる」と大々的に報じた。〈しかし、実際にはそのいでたちとは裏腹に、彼女は何ら功績を立てたわけでなく、第一線にすら出向いていないというのが真相らしい〉(「男装の麗人川島芳子伝」上坂冬子)。
写真は昭和八年八月六日撮影。ラジオ番組出演で、余った時間に即興で歌を披露し、それがきっかけでレコードも発売されたほど人気だったという。芳子をモデルにした村松梢風の小説「男装の麗人」(「婦人公論」連載)も一世を風靡した。
昭和二十年、日本の敗戦にともない国民党軍に逮捕され、漢奸(中国の売国奴)として訴追を受ける。二十三年に北京で銃殺刑となり、波乱の生涯を終えた。