「あえて召集し、そこから逃れるために賄賂を...」いまウクライナ軍内部で起きている「ヤバすぎる疑惑」と、その難民に対して日本人が浴びせた「侮辱の言葉」
8/31(木) 7:04配信
現代ビジネス
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ある日、勤務先で突然手渡された「召集令状」。愛国心は人一倍ある。しかし一方で、なぜ自分がという気持ちも……。53歳、人生の後半に出征を命じられた、あるウクライナ人エリートの葛藤の記録。
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前編記事『「嫌だ、行かないで!」「お父さん、死なないで!」53歳・日本通の国立大学教授が勤務先で突然「召集令状」を手渡され...今ウクライナで起きている「現実」』より続く。
やはり疑問が残ってしまう「なぜ自分が?」という謎
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徴兵事務所で必要な書類を提出し、身体検査を受けて4月下旬、リビウの駅から他の兵士十数人とともに夜行列車に乗り込んだ。出発前は、自宅から駆けつけた妻との別れを惜しんだ。
夜行列車は翌朝、南部オデーサに到着。そこで軍事訓練を受けたが、ある日、雨に濡れて急性気管支炎を発症し、入院した。子供の頃から体が弱かったためだが、完治しないまま軍のテストを受けた。終了後は、北東に約700km離れたハルキウ州の部隊に配属された。そこでもしばらく入院生活を続け、6月下旬から任務についている。
「戦闘にはまだ参加していません。今は軍に関する資料を取り扱う事務作業をしています。パソコンを使ったデスクワークが中心。銃を持って戦うだけが軍隊ではありません。でも数日後には仕事が変わるかもしれない。突然、ロシア軍が攻めてきたら……」
危険と隣り合わせの「非日常」。任務のかたわら、妻や母親(86歳)とは毎日、電話で連絡を取り合っている。
「妻とはその日の気分や天気、食べた物、最近のニュースについて話をします。家族の中では母親が一番、私のことを心配しています」
ウクライナがまだ独立する前のソ連時代、イゴルさんは高校の授業で、カラシニコフ銃を45秒でバラして組み立てたり、ガスマスクの使い方を学んだりといった基礎的な軍事訓練は受けていた。進学したリビウ工科大学でも4年間、軍事に関する授業は受けたが、卒業後は日本語教育や文化の普及に携わっていたため、軍事分野とはまったく関係ない世界で生きてきた。戦場も未経験だ。
オデーサで受けた訓練には、2~3歳上の男性も参加していたというが、退役兵だった。ゆえに、経験も知識も不十分な、それに中年の自分がなぜ徴兵の対象になったのだろうかと、やはり首をひねった。
軍内部の「恐るべき疑惑」
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「私のような人が召集されるぐらいだから、軍の状況は厳しいのかなと思いました。ですが、それほどでもないかもしれないし、わかりません。ただ、ハルキウの部隊に配属された時、私を見た皆は困った表情をしていました。大学の先生にここで一体、何をさせたら良いのだろうか? と」
そう言ってイゴルさんは大笑いした。まるで戦地にいることを忘れさせるかのような、穏やかな表情だ。
「上官に日本語が使えそうな任務はありますか? と尋ねたんです。今のところはないと言われました。今の書類の仕事は、オデーサの訓練とはまったく関係ありませんので、あの訓練は役に立っていないのではとも思います」
召集令状を受け取ってからオデーサへ派遣されるまでの約2ヵ月、軍内部の歪な空気も感じた。
「最近、軍に関するいろんなスキャンダルも起きています。徴兵事務所のトップはかなりお金持ちになっているみたいです。徴兵を免れさせるよう、賄賂を受け取っているとか。私も徴兵事務所から何度か呼び出されました。今思えば、私がそう働きかけるのを待っていたのかもしれません」
徴兵逃れの賄賂が横行
徴兵事務所における汚職は、ウクライナ国内で大きく報道されている。オデーサの徴兵事務所所長は、徴兵免除と引き換えに受け取った賄賂などを含め1億8800万フリブナ(約7億5000万円)の貯蓄があり、家族はスペインで高級住宅を購入したという。
こうした事態を受けてゼレンスキー大統領は8月半ば、兵士の徴兵や招集にあたる各州軍事委員会のトップを全員解任すると表明した。国民の反発が強まる中、早急な対策を迫られている。
ただ、いくら「お国のため」とはいえ、終わりの見えない戦火の中、召集令状を突きつけられたら、藁にもすがりたくなるのが人間だ。
イゴルさんも「希望してまで行きたいわけではない」と本音を漏らす一方、「呼ばれたら逃げるつもりはなかった」という葛藤を抱えていた。そして家族に引き止められながらも、戦地に赴く決断を下した。現状では、余程の特殊事情がない限り、娑婆には後戻りできない。
「原則、自分から軍を辞めることはできません。そのためには戦争に勝つか、ゼレンスキー大統領が特別な法律を作るか。そうでなければ、戦争が続く限りは60歳までここにいるでしょう。あるいは負傷して死んでしまうかもしれない。徴兵された以上、もうどうしようもない」
不安の中にあるわずかな希望、母国を守りたいという愛国心、そしてロシアへの憎悪―。そんな複雑な感情に、イゴルさんは突き動かされていた。
「できるだけ戦争は早く終わって欲しい。でも終わるだけではダメで、ロシアをばらばらにしてもらいたい。それまで生き残るしかないです」
スナイパー志望の若い女性
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ロシア軍による軍事侵攻からの1年半で、民間人の犠牲者や避難民を取り巻く状況にも変化が起きている。
国連によると、8月14日時点で、死亡した市民は9444人に上り、負傷者は1万6940人だった。ウクライナから各国へ逃れた避難民は、ピーク時(800万人強)よりは帰国して減ったが、ポーランドやドイツを中心にまだ約620万人も残っている。
日本がこれまでに受け入れた避難民は8月8日時点で2479人。このうち少なくとも260人がすでに出国した。
「この夏、私が知っているだけで10人近くの避難民がウクライナに戻りました」
そう語るのは、都内で避難生活を送るヴィクトリアさん(26歳)。自身も9月半ばにウクライナへ戻るという。その理由を尋ねると、
「家族や恋人、友人に会ったり、歯医者や美容院、ビューティーサロンに行きたいから」
と若い女性らしい事情を説明するが、こんな胸の内も明かす。
「一通りそれらの用事が終わったら、スナイパー(狙撃手)の技術を学べる民間のスクールに通う予定です」
彼女を取材していた夕暮れ時の和やかな喫茶店に、「スナイパー」という言葉が、鋭く響いた。
「ニッポンアカデミー」理事長は「難民貴族」と発言
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ロシア軍による軍事侵攻当初、ヴィクトリアさんは首都キーウにいた。すぐに両親のいるザポリージャ州へ行くと、街はロシア軍に占拠された。地下壕に隠れるなどして難を逃れ、安全な場所へ避難。約1週間後、ヴィクトリアさんだけが恋人のいる別の場所へ行き、そこで避難生活を送った。
「その時に軍事訓練を受けるか、日本へ避難するか迷いました。子供の頃に父親から銃の扱い方は教わっていたし、射撃場でアルバイトをした経験もあります。一方で、キーウの日本料理店で働き、日本語も勉強していたから、日本は憧れの場所でした。すると恋人から『日本へ行けよ』と背中を押されたのです」
昨年7月半ばに来日し、群馬県での生活が始まった。しかし、通っていた日本語学校「ニッポンアカデミー」で授業料の支払いをめぐる騒動が起きた。無料とされた半年分の授業料が、3ヵ月足らずで請求されたのだ。
説明を求められた理事長は会見で「難民貴族」と発言し、非難の集中砲火を浴びた。これに不快感を覚えたヴィクトリアさんは学校を辞め、都内のアパートへ引っ越した。現在は同校出身の男子2人と3人で暮らし、避難民の悩みを聞く心理カウンセラーとして働いている。
スマホのスクリーンに映し出された写真には、笑顔のヴィクトリアさんに寄り添うように、恋人がはにかんだ表情を見せている。だが、着ているのは戦闘服だ。来日直前に撮った1枚である。
ウクライナに残った恋人は軍に所属し、南部ヘルソン州の前線で戦っている。ロケット砲を扱う現場責任者的な立場だという。このため、日本から電話できるのはせいぜい週に1~2回程度だ。
「前線にいる時は、ネット環境が悪いから5分程度ですが、武器の調達に行くために前線を離れると2時間ぐらい話せます。彼は常に戦場にいるから、戦争については語りたくないと。だから日本での出来事や私たちの将来、彼が好きなギターなどの話をします」
「あなたを愛している」
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ヴィクトリアさんが都内へ引っ越す前、品川のホテルにしばらく滞在していた時のことだ。ある日、部屋の前に箱が置かれていた。開けると可憐な白い花束が目に飛び込んできた。添えられたメッセージには、ウクライナ語でこう記されていた。
〈あなたを愛している。良い1日を! 〉
すぐさま恋人に電話をかけた。
「そしたら『僕からのプレゼントだよ』って。事前にホテルへ戻る時間を尋ねられたから、そういうことだったのかと。嬉しかった」
二人でヨーロッパ旅行を計画し、子供を5人産んで温かい家庭を築く予定だった。しかし、戦争によってすべてぶち壊された。恋人だけでなく、親友2人も現在、前線で進軍を続ける。
「12月に日本語検定試験を受ける予定なので、スナイパーの訓練を受けた後は日本に戻ります。ですが、万が一、恋人や友人の身に何かあった時は、ウクライナに残って戦います」
目を潤ませてそう語るヴィクトリアさんの脳裏には、ロシア軍によって破壊された故郷ザポリージャの凄惨な光景が浮かんでいた。戦火のウクライナだけでなく、遠く離れた日本の避難民たちも、先の見えない戦いを強いられている。
さらに関連記事『【支援の”見返り”を要求】戦争から1年半…ウクライナ人避難民が明かした「身元保証人とのトラブル」』では、日本での身元保証人とのトラブルに見舞われたウクライナ難民の証言に迫っています。
「週刊現代」2023年8月26日・9月2日合併号より
週刊現代(講談社)/水谷 竹秀