「死刑になりたくて」はなぜ起こる 無差別殺傷犯の聞き役に徹して見えた「生々しい心理」〈AERA〉
8/23(火) 8:00配信 2022
>しかし、3年弱の取材を通してわかったことは、刑務所という場所に「親代わり」を求めているということ。それも、かなり倒錯した「理想の家庭」像を持っていることがわかった。
「死刑になりたい」という犯行動機の無差別殺傷事件が、次々と起きている。その犯人を取材してきた、写真家・ノンフィクションライターのインベカヲリ★さんが見たものとは──。AERA 2022年8月29日号の記事から。
【写真】2008年の秋葉原通り魔事件当日18時頃の現場付近の様子

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今年7月、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大の死刑が執行された。

東京拘置所 死刑囚が収容される
無差別殺傷は漠然とした「怒り」の発露のように思う。犯人自身もその目的を言語化できないことが多く、裁判は「事件を起こした理由」がわからないまま終わってしまう。そうしたことからも、無差別殺傷犯には昔から関心があった。
もし人間を無差別殺傷する側としない側に分けるとしたら、私はする側だろうという意識がどこかにある。大人になってその意識はだいぶ薄れたが、10代の頃はもっと明瞭に感じていた。だから無差別殺傷事件が起きても、「頭のおかしい奴が起こした」とはあまり思えない。似たような行き場のない怒りは身に覚えがあるし、どこか自分と地続きであるような気さえする。
冒頭の加藤の場合、犯行に至る心理を自ら分析して本にしている。そんな彼でも、取り調べや公判の時点では「事実を説明しようとはしてきましたが、私自身が整理しきれていなかった」と言っている。
■「死刑になりたかった」
2008年に起きた「土浦連続殺傷事件」の金川真大も印象に残っている。彼は「死刑になりたくて」事件を起こし、裁判でも繰り返しそう述べていたが、「なぜ死刑になりたいのか」までは最後まで納得できる説明をしなかった。そして異例の早さで死刑が執行された。
彼らに対し「無敵の人」「拡大自殺」などと呼んで納得しようとするのは簡単だ。けれど人間である以上、意味があって行動するのだろうし、ひたすら聞き役に徹すれば、それ以上のものが見えてくるかもしれない。私が「東海道新幹線無差別殺傷事件」(18年)を起こした小島一朗に取材をしようと思ったのは、そうした理由からだった。
当時22歳だった小島は、1人を殺害、2人に重軽傷を負わせた。動機について「一生刑務所で暮らしたい」と述べ、無期懲役囚になるためだったという。裁判でも「刑務所に入りたい」の一辺倒だった。しかし、3年弱の取材を通してわかったことは、刑務所という場所に「親代わり」を求めているということ。それも、かなり倒錯した「理想の家庭」像を持っていることがわかった。そうした生々しい心理は、何度も面会に行って話を聞き、関係性をつくって初めて見えてくることだった。
この事件についてまとめた『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』を出版した後、
「死刑になりたい」という犯行動機の無差別刺傷事件が未遂を含め立て続けに起きた。
21年10月には、京王線の車内で、映画「ジョーカー」の主人公のコスプレをした服部恭太がサバイバルナイフで1人に重傷を負わせ、車内を放火し「2人以上殺して死刑になりたかった」と供述。11月には「小さな子どもを殺して捕まり、死刑になりたかった」と、包丁を持った男が宮城県内にあるこども園に侵入した。22年1月には、東京・代々木の焼き肉店に、刃物を持った荒木秋冬が店長を人質に立てこもり、「その場で射殺されたかった」「死刑にしてくれ」などと供述した。ほかにも、同様の事件が複数件起きている。
(写真家・ノンフィクションライター・インベカヲリ★) ※AERA 2022年8月29日号