太平洋戦争で日本が降伏を表明した後に召集令状を受け取り、軍隊生活を1週間送った男性が京都市にいる。男性は「知られざる歴史を語り残したい」との思いから京都新聞社に連絡を取り、秘話を証言した。
【写真】「なんであんな戦争をしたのか」98歳訴え
中京区の塩見英三さん(94)。京都市立第二商業学校を卒業後の1945年4月、日本の植民地だった朝鮮半島・京城(現在のソウル)にある運送会社に就職した。8月15日、会社で玉音放送を聞いたが、「ガーガーという雑音ばかりで戦争を続けるのか、降伏するのか分からなかった」。
会社前の京城駅に朝鮮人が次々と集まって解放を喜ぶ姿を見て、日本は負けたのだと分かった。そんなとき、社宅の知人から「巡査が召集令状を持って来た。早く帰っておいで」と連絡が入った。
「戦争は終わったはず。何かの間違いではないのか」。訳が分からないまま近くの陸軍兵事部に召集令状を持参すると、軍服に着替えるよう命じられた。敗戦を確かめられる雰囲気ではなかった。
「終戦の日」に徴兵された約50人に与えられた任務は、刑務所などの警備。「興奮して朝鮮語で釈放を求める囚人に対し、空砲の銃を向けて脅すよう指示されたこともあります」
約1週間後、米軍機が日本語と朝鮮語、英語で日本の無条件降伏を知らせるビラを上空からまいた。直接の因果関係は不明だが、自身の召集がまもなく解除され、9月に福岡県の博多港に引き揚げた。
戦後76年がたち、同世代の多くが鬼籍に入る中、自身は今年、がんの摘出手術を受けた。「私が死ねば珍しい体験もなかったことになる」と考え、紙面を通して伝え残すことにしたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9feee5ff739691d668861c73ba4c97202cfffae5