土佐の民家風ログハウス、アイビーログ工房 

http://ivy-log.com/住みたい!!高知が元気になる家。アイビーログ工房の木の家には物語が生まれます。

地鎮祭がありました。

2013年03月28日 21時21分41秒 | Weblog

Y邸の地鎮祭がありました。明治の初めに建てられていた主屋は、あとかたも無くなり、地面が、100数年振りに陽の下に現れました。永久に立っている建築はありません。主屋は、骨組みも小さく、決して丈夫な作りではありませんでしたが、100年以上建っていました。理由は何か。やはりメンテナンスしながら、大切に住み継いで来たからに他ありません。いくら丈夫に作り、地震にも耐えられても、愛され住み継ぐ物のいない建築は、30年前後の寿命しか持ち得ません。出来るなら私たちが建てる、ポスト&ビームの、杉の丸太の建築は、愛され、前の家以上の時間この地に立ち続けている事を、願いました。浅上王子宮の神官に、基礎を打つ時の鎮め物はないのですかと聞いたら、施主さんが、神社に参拝したとき、神社の境内にある小石を拾って来て鎮めて下さい。と言われた事に少し感激しました。こんな事は今まで無かったからです。必ずありがたい神秘な物、言われのある形のある物を鎮めてきたからです。形では無く、想いを入れるという行為は、何か清々しい物を感じました。

只花粉症なのか、マスクを外さなかった事に時代を感じました。

4世代が関わる建築を建てられる事は、光栄であり、責任を感じます。だから、地の神に、100年以上この地に建ち続ける建築を、創らせて下さいと、おねがいしました。

 


未来は自分で創る。

2013年03月25日 09時24分09秒 | Weblog

この頃職人が激減していると、本当に感じる。工場生産の建築が増えていて、手仕事が減っている事もあるのだが、加速して来ている。そのうち大工、左官と言った職業は、特別な職業になり、文化遺産修復がメインの仕事となる事になるかも知れない。もっと手仕事の良さを、職人自ら伝えて行かなければ、この流れは止まらない。カフェで話をしていて、ほとんどの人が、「木の家や、ログハウスがこんな手頃な値段で買えるとは思っていなかった。」と言う。ハウスメーカーの木の家が高い事が影響しているのだが、それは彼らの戦略であり、手間のかかる木造建築は、儲けにならないからであって、簡単に建てられ、構造計算もはっきりした工場生産の建築が儲けも多く、効率良く建てられるからに他ならない。確かに大工の建てる木造は、多くの場合構造計算はしていない。しかし平屋や二階建の建築であれば、余程手を抜かない限り倒壊する事は無いし、する必要も無いとされている。数字を言うと説得力があり、いかにも丈夫な建築と錯覚するが、それは当たり前のこと。自分の価値観を持つ事が大切と、近頃本当に感じる。手を抜かず一生懸命良い建築を建て、提案する事がこれから職人には、さらに求められる時代になるだろう。自分の考える、良い建築を建て、知ってもらう努力をする。これをしなければ、本当に近い未来、建築の現場から職人はいなくなるだろう。未来は自分で創る。この言葉を大切に思っている。良い木の家を建て続ける事が、自分の、職人の未来を創る事になるだろう。


知識を持つと、風景が変わる。

2013年03月18日 22時41分25秒 | Weblog

菜の花も満開。山桜も咲き始めました。春本番ですが、花をゆっくり眺めるゆとりが無いのは少々残念です。しかし、仕事が忙しいのは有難いことです。やらないといけない事ができないのは、少々辛いが仕方がない。しかし、春と言う季節は、そんな事ほっといて、旅に出ようよと誘うので困る。只今次のログハウスを建てる前に、先行してキッチンを建てている所。簡単な建て方だが、なるべく木を使い、シンプルにたてようと思っている。今の建築は、工場生産の素材を使わずには建てられなくなってきています。そのうち工場で造らないと、安全な家ではないと言われかねない勢いだ。しかし、建物と言うのは、単に寒さや暑さ、風雨から人を物理的に守るだけでは無く、建物が人の生命と深く結びついた状態で建てられなくてはならない。そうでなくては本当に人間を守る建築は出来ないのではないかと言う意見に、私は賛成だ。いかに科学が発展しても、設備が完璧になろうと、木と土の家の安心感は特別な物だと、近頃本当に感じている。外観の素材自体、木や土を使って建てるのと、工場生産の素材を使う家では、ホッとする感じが違う。私が建築に携わっている事もあるだろうが、知識が増える程に、風景が違って見えて来る。昔汚いと思っていた、漆喰の汚れや、板の風化も、知識があると趣があると感じてくる。日本人は、特にその感性を、もともと持っていると感じる。しかしピカピカや、新しい物が好きなのも土佐人だ。家を建てようと思った時は、素材の勉強をして欲しいと思う。そうすれば自然に負荷をかける素材は使わなくなると思う。知識を持つと、美しさや大切さも違って来ると感じている。一生住む家と思えば、安いに走るのでは無く、ライフサイクルコストや、素材を吟味する事は、損にはならない。


木の小物を作る授業は、あっと言う間に終わりました。

2013年03月16日 20時59分52秒 | Weblog

高知農業高校で、木の小物を作る授業をしました。写真は素材の椿、端材の板、杉の丸太でした。授業の前に、各自、作りたい物をスケッチして来て貰い、できるだけそれを形にする事にしました。それと工具の手入れが、出来てなかったので、手入れの大切さを知って貰うために、簡単に刃物の扱い方、研ぎ方の授業も並行して行いました。

4時間の間に形に出来た人も、出来なかった人もいましたが、皆集中して作業していたので、教える方も、写真を撮る暇が無いぐらい、皆真剣に取り組んでくれました。中には、面白い物も出来て、中々楽しい授業だったのではないかと感じました。木工を通じて、楽しさや難しさ、を感じたと思います。将来どんな仕事をするか、わかりませんが、授業を通じて、木を知り、好きになってもらえたら嬉しい。


小原流花展、最終日。

2013年03月10日 21時52分06秒 | Weblog

夜遅くまで刻み作業中。今月一杯はともかく忙しい。

かみさんも、カルポートで行われた花展の準備で、これもいそがしい。こちらも大掛かりでまるで建築現場。何でも期間がきまっていると大変。今日カルポートで小原流展最終日なので、顔を出してきた。

カフェのベンチやスツールもうまく使ってくれていた。汚れていたので少し心配してはいたが、汚れていた方が違和感がなくて、良かったようだ。

ともかく大仕掛けで、2mのベンチも迫力負け。これ用に作るんだったら、もっとすごいのを作って出せるけど、普段使うとなると、大きい物は大変だしと考えてしまう。見て改めて思ったのだが、ログも花も、見せる部分では共通する部分があると感じた。強度など考えないで良い花の方が、より自由だが、良いと感じる部分は共通.基本とインスピレーションの組み合わせ。より自由な形を、守るべき所は守り作って行こうと思います。