安芸の岩崎弥太郎の生家。わらぶき屋根と土佐漆喰、安芸瓦で出来ています。快適かどうかと言うと、寒い家だと思いますが、風景として見ると、何か癒される感じがします。
吉良川の石の塀。
旧家の中庭。旧いけれど、汚く見えずに、何となく落ち着いたりするのは、素材が身近な物で出来ていて、産業廃棄物にならず、持続可能性のある素材だからだろうか。
草葺屋根で家を作る事は今の時代、快適性や、効率上無理があるが、地元の素材を使って家を建てる事は、環境問題や、地元の産業育成の観点から考えても、意味があることだと感じている。本物の素材の良さを、みんなが感じ始めている。性能表示は良くても、何か違う建築が多すぎる今。地元の素材を使い、快適な家を建てる事を考えても、良いのではないだろうか?その素材は、新素材のように高性能ではないかも知れないが、長く慣れ親しんだ快適性を持っている。手触りが良く、暖かかったり、古くなっても飽きない表情を持っていたりする。そんな普通の事が、性能表示の良さより大切なのではないかと、私は感じます。
高知大学に設置した、丸太の屋根付きベンチテーブル。この前カフェに来た大学生にどうなっているか聞いたら、良く休んだり、弁当を食べたり、授業の打ち合わせに良く使っているとの事。少し幸せな気持ちになりました。
自然の素材で仕上ると、少しムラがあったりして、均一ではありません。
私達が、自然素材のゆらぎ、職人の手跡と称する物は、工場生産では、欠陥と言う物になるのかも知れませんが、私は味と考えています。何一つ同じ物が無い素材を使う事は、ある意味、おおらかさを持つ必要があるのかも知れません。しかしそれは飽きる事が無く、変化も楽しめる。そんな家が数多く建つと、何となく良い風景が出来るだろう。
美しい町の条件として書かれた物には、
1 形態的に統一されている。 2 色彩的に統一されている。 3 材質が統一されている。 4緑化率が高い。 5 質の高い建築がある。 6 規制や規格がある。と書かれていて、成る程と感じた。日本は戦後自由になり、金銭的にも余裕が出来て、皮肉にも、ちぐはぐで、愛せない建築が溢れた。色々な業者があり、色々な建て方もあるが、目先の便利や安さを追うのはもう止めて、土地の豊かな素材を使い、30年~50年~100年先まで美しいと思える素材の使い方や建築方法を選ぶ事で、美しい風景が創れるのではないかと感じています。世界遺産になった白川郷は、特別な素材で作られた物ではありません。しかしその風景を見に、世界中から人が来ています。手入れされ、引き継がれ美しく錆びた素材が、美しい風景を創ったのです。美しい風景が人を呼び、人を育てるのだと感じています。そんな家を建てていきたい。