土佐の民家風ログハウス、アイビーログ工房 

http://ivy-log.com/住みたい!!高知が元気になる家。アイビーログ工房の木の家には物語が生まれます。

美しい風景の創り方

2014年05月26日 16時29分39秒 | Weblog

安芸の岩崎弥太郎の生家。わらぶき屋根と土佐漆喰、安芸瓦で出来ています。快適かどうかと言うと、寒い家だと思いますが、風景として見ると、何か癒される感じがします。

吉良川の石の塀。旧家の中庭。旧いけれど、汚く見えずに、何となく落ち着いたりするのは、素材が身近な物で出来ていて、産業廃棄物にならず、持続可能性のある素材だからだろうか。

草葺屋根で家を作る事は今の時代、快適性や、効率上無理があるが、地元の素材を使って家を建てる事は、環境問題や、地元の産業育成の観点から考えても、意味があることだと感じている。本物の素材の良さを、みんなが感じ始めている。性能表示は良くても、何か違う建築が多すぎる今。地元の素材を使い、快適な家を建てる事を考えても、良いのではないだろうか?その素材は、新素材のように高性能ではないかも知れないが、長く慣れ親しんだ快適性を持っている。手触りが良く、暖かかったり、古くなっても飽きない表情を持っていたりする。そんな普通の事が、性能表示の良さより大切なのではないかと、私は感じます。

高知大学に設置した、丸太の屋根付きベンチテーブル。この前カフェに来た大学生にどうなっているか聞いたら、良く休んだり、弁当を食べたり、授業の打ち合わせに良く使っているとの事。少し幸せな気持ちになりました。

自然の素材で仕上ると、少しムラがあったりして、均一ではありません。私達が、自然素材のゆらぎ、職人の手跡と称する物は、工場生産では、欠陥と言う物になるのかも知れませんが、私は味と考えています。何一つ同じ物が無い素材を使う事は、ある意味、おおらかさを持つ必要があるのかも知れません。しかしそれは飽きる事が無く、変化も楽しめる。そんな家が数多く建つと、何となく良い風景が出来るだろう。

美しい町の条件として書かれた物には、

1 形態的に統一されている。 2 色彩的に統一されている。 3 材質が統一されている。 4緑化率が高い。 5 質の高い建築がある。 6 規制や規格がある。と書かれていて、成る程と感じた。日本は戦後自由になり、金銭的にも余裕が出来て、皮肉にも、ちぐはぐで、愛せない建築が溢れた。色々な業者があり、色々な建て方もあるが、目先の便利や安さを追うのはもう止めて、土地の豊かな素材を使い、30年~50年~100年先まで美しいと思える素材の使い方や建築方法を選ぶ事で、美しい風景が創れるのではないかと感じています。世界遺産になった白川郷は、特別な素材で作られた物ではありません。しかしその風景を見に、世界中から人が来ています。手入れされ、引き継がれ美しく錆びた素材が、美しい風景を創ったのです。美しい風景が人を呼び、人を育てるのだと感じています。そんな家を建てていきたい。


アックスマニア?

2014年05月23日 12時15分25秒 | Weblog

斧、洋風に言うとアックスが好きです。いつの間にか、10本以上持っています。洋斧、アックスは、刃の部分も、柄の部分も形が色々あり、デザイン的にも楽しいのですが、和斧はシンプルな形しかないのは何故かと、常日頃思っていました。そこで鍛冶屋さんにアックス、洋斧のような形を注文しましたが、残念ながら、出来ないとの事。洋斧は全部刃金なので、複雑な形にしても強度もあるので、安全につくれるが、和斧は、先端部に刃金を入れる形式なので、柄のつけるあたりが細くなると強度不足になるから出来ません。との事。何か分かったような気がしましたが、ようは、面倒くさいのでやれません。と私には聞こえました。やる気の有る職人さんだと、喜んでやってくれると思いますが、これでは先行き明るくならないよ。話した人が職人さんではなかったのかも知れないとも思いましたが、残念でした。しかたないので、刃物センターにある、一番大きな斧、重量2.5キログラムの物を買い、柄をつけました。薪を割ると、確かに良く割れます。シンプルでカッコ良いとも見える。けれど新しい事もトライしなくては、未来は作れない。旧いままで良い。一見正義のような気もするが、私は新しい事にもチャレンジしたい。そういうチャンスを与えてくれる施主さんがいれば、私は、精一杯の努力はしたいと考えています。


ウッドジョブ。

2014年05月20日 09時14分20秒 | Weblog

昨日、久しぶりに映画を見た。仁淀川カヌーの帰りに、前から見たかった、ウッドジョブと言う映画だ。最初はおふざけムードだったが、芯はしっかり貫かれ、少し涙あり、最後は少し元気がもらえた楽しい映画だった。皆さんも見てください。山の問題も少し見えますし、本当に大切な物が何かと、考えさせてくれます。興味を持ったのは、主人公が枝打ちに使っていた斧。その原型を、アイビーログ工房は、ログワークに使っています。

先まで丸く鋭利な鉈ですが、ログワークで重宝する鉈です。刃はヒゲがそれるほど砥ぎ、使います。下の丸太の形を、上の木に写し取るスクライブ作業の前や、グルーブ部分の整形に使う道具です。先日この鉈を注文しに鍛冶屋さんに行くと、なんと昔より、1,6倍近く高い値段を言われびっくりしましたが、昔注文し作ったのは、10年以上前だった事を考えれば、致し方ないのかも知れないと思いつつもビックリしました。

それでと言うわけでもないのですが、鉈を再生しました。下の赤い紐を巻いてるのは、だいぶ前に刃物祭りで買ったお気に入りの鉈。上のエンジュの木で鞘を作った物は、200年ほど前の民家から出て来た鉈を、再生した物です。

錆びて、ぼろぼろでしたが、錆びを落とすと、何とか鉈なら使えそうです。この位なら、山へ素材を取りに行った時とかには活躍しそうです。何時も思うのですが、手道具は、手入れさえすれば何時までも使えます。良い物を買い、何時までも使い続ける事は、とても大切で豊な事だと思います。安いより引き継いでも使いたい良い物を買う事は、美しい文化を創る事につながると考えています。家も同じで、安いでは無く、引き継いでも使いたい家を建てて暮らす事が、地域の文化を育て、地域を豊かにして行くと、私は考えています。


イタリアンバイクが好きだ。

2014年05月17日 08時52分54秒 | Weblog

赤いちゃんちゃんこ代わりの赤いバイク。バイクも人も、前世紀の遺物。そろそろ部品の取替えが必要になって来た。気持ちは昔と変わらず若いつもりでいるが、近頃は、高速道路を走る時は、マシンの調子を見ながら、少しセーブして走っている。今の車だと長距離でも、心配せずに走れるが、風にさらされるバイクだと、300キロを越す長距離を走る時は、体調も大事だし、それ以上に気持ちも大切になる。楽しくなくては、そして冷静でなくては、帰って来るまでの安全はない。体力、持久力がいるので、自分の可能性、限界を感じる為の儀式のようになっている。四輪だと、疲れると止まって休む事も出来るが、二輪だと止まると転ぶので、止めて、地べたか、ベンチで転んで休むしかない。しかし、辞められないのは、その行為が好きで楽しいのだろう。この行為は、体力、知力が衰え、乗れなくなるまでやるのだろうと、感じている。バイクも私は初期に、兄の影響でメグロ等のシングル、ツインに乗ったが、その後アメリカンバイクに憧れた。25歳頃からイタリアのバイクに乗るようになった。性能より、楽しさを選んだのだと思う。4気筒よりシングル、ツインエンジンが好きなのは、初期の体験から来ているのだと感じている。

今乗っているモトグッチは、この角度のスタイルにやられた。エンジンは時代遅れ、機械の洗練度もたいした事もないが、音やフィーリングが好きだ。万人では無く、どんな人が使うのか明確な設計なのだ。この事は、私が携わるログハウスにも通じている。性能的はハウスメーカーの家の方が、数字で表示され一見良いように感じるが、住み心地は断然、ログハウスの方が良いと感じる。機械で住空間をコントロールするのではなく、素材や設計空間で、快適な空間をつくっている。窓を開けなければ暑いが、窓を開けると、涼しい風が流れる。湿度も温度も、外の空間と極端に違わないので体に負担が少ない。自然を拒否するのではなく、寄り添う生活をしたい方に合っている住み家だと考えている。きっとこれからは、宇宙船のような家と二極化するのだろうが、宇宙から、宇宙飛行士が帰還した時、発する言葉は、自然の風が気持ちよいとか、本当に根本的なことに飢えていることからも、ログハウスのような家が、憧れの対象であり続けると感じている。私は、手に届く憧れを、これからも作って行きます。

 


本物の素材は美しく錆び、愛される。

2014年05月14日 09時03分46秒 | Weblog

磨いていない大理石を張った床。アンティ-クな街灯用の電気器具。りユースの火打ち梁。

アンティークな小物にあふれた空間。室戸でこだわりのカフェを見つけました。きっと、かなりのプロバンス好きだと確信して話を聞くと、行った事はないのだけれど、大好きで、趣味で集めた物だそうです。

一つ一つの小物に、思い出、愛着があることは、容易に想像が出来ます。漆喰を荒く塗った壁が、ヨーロッパの田舎風で似合っていました。共通点は、どれをとっても、素材が本物だと言う事です。本物の素材は、古くなっても美しさを感じられます。流れた年月を感じられるのです。私建ちの建てる家は、なるべく地元の、加工されていない自然素材を使い建てます。掃除をし暮らす事で、30年~50年後、魅力を増していると確信しています。もちろん、雨が当たる場所は手入れなり、対策をして住む事で、次世代にも、その次の世代にも、愛される状態で暮らせると。