AYUMI ESSAY 逆システム学の窓 児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学ラボラトリー
(兼任:東京大学アイソトープ総合センター長)
Vol.41 “チェルノブイリ膀胱炎”―長期のセシウム137低線量被曝の危険性
医学のあゆみ 238巻第4号 2011年7月23日
http://plusi.info/wp-content/uploads/2011/08/Vol.41.pdf◎福島原発事故は,膨大な量のセシウム 137 飛散を引き起こした.汚染は,飯館村など 30 km 以遠,福島,郡山など福島都市圏,我孫子,柏など東葛 6 市にも広がる.食品の汚染では,神奈川県の相模原市,山北,松田両町のお茶が出荷停止となり,静岡県産のお茶はパリの空港で汚染が検出されている.心配されるのは,東北,関東の 108 名の母乳を分析したところ,福島県内の 7 名の母乳から 2~13 ベクレル/L のセシウム 137 が検出されたことである.
セシウム 137 は,核実験以前には地球上に存在しなかった.強いγ線を放出し,1987 年のゴイアニア被曝事故では死亡例も知られる.人体内では,腎臓から尿中に排泄される.日本バイオアッセイ研究センターの福島昭治所長は,チェルノブイリ現地の研究者と,膀胱癌の百万人あたりの発症が,86 年 26 人から 01 年 43 人に増加していることを発表し,その前癌状態として,増殖性の“チェルノブイリ膀胱炎”が広範に引き起こされていることを報告している.
前立腺肥大で手術を受けた際に切除された 164 名の膀胱病理像を,高いセシウム線量(5~30 Ci/km2),中間的線量(0.5~5 Ci/km2),非汚染地域の住民の 3 群にわけて検討して,そのメカニズムとして,NFκB と p38MAP キナーゼの活性化,NO 産生増加を介していることを示している.これら 3 群のヒトの尿中のセシウム 137 は,それぞれ,6.471.23 そして 0.29 ベクレル/L で,上記の福島県内の母乳と同じレベルであり,長期被曝が前癌状態を作り出すという報告は重要である.
今回のセシウム 137 汚染は 3 月 15 日に大半が,21 日から数日で一部が放出された一過性のものであり,除染でかなり除けるという特徴がある.
食品の汚染も一過性にピークを迎える.検出体制を急いで整備し,セシウム 137 で汚染された食品の摂取を避けることが緊急の課題となっている.現在,原発事故に従事している作業員や,飯館村など高汚染地区に住み続けている人は,セシウム 137 を吸着するペクチンなどの予防投与を検討する必要がある.
我々は子孫への責務を負っている.核実験による低レベル放射能を検出しアメリカでの公開実験を通じて核実験禁止の流れを生み出した,猿橋勝子博士に学ぶ必要がある.人間の生み出したものは,人間の努力で除去できないわけはない.現在の少量の高い線量の放射性物質を想定している法体系を,低線量のものが膨大に放出された福島原発事故に対応できるように変え,我が国の医学界も総力をあげ取り組む体制を整える必要がある.また損害賠償において被害者立証はいわば不可能であり,加害者(東電,政府)による被害全面賠償が必須であることを示している.
児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学ラボラトリー
Vol.28
チェルノブイリ原発事故から甲状腺癌の発症を学ぶ
―エビデンス探索 20 年の歴史を辿る
医学のあゆみ 231巻第4号 2009年10月24日
◎“エビデンス”という言葉が臨床研究で用いられる.
だがチェルノブイリ原発事故が甲状腺癌を増加させるというコンセンサスをつくるのに 20 年かかった歴史は忘れてはいけない.チェルノブイリの健康被害の研究に国際的に関わられた長崎大学名誉教授の長滝重信先生に,その 20 年の歴史と教訓をお聞きした.
第一は,安易な“エビデンス”論への疑問である.
アメリカ型の多数例を集めるメガスタディを行ってもエビデンスとはならず,その地域における疾患の全体を長年をかけて網羅的に把握することのみがコンセンサスを得るエビデンス発見法であったことである.
第二は,ある原因での疾患の発症は特定の時間経過でのみあらわれ,すぐ消えていくため,注意深い観察が必要である.我々の想像を上回る長い時間の経過が関わり,対策の求められているその瞬間には「エビデンスはない」ということがしばしば起こる事である.
逆システム学の見方でいえば,「統計より症例報告」という法則が重要である.多数例の軽微な変化より,極端なしかし端的な特徴をもつ少数例を現場でつかむことが,同時代の患者のために役立つ情報をもたらす可能性が強い.エビデンスがないということは,証明不能を語るだけで,因果関係の否定ではない.エビデンスを確立するには多数例の長い時間が必要であるため,短期においてはある地域に従来みられない特殊な患者が現れた時に即時に対応することが重要である,
例えばベラルーシに 1991 年,肺転移を伴う小児の甲状腺乳頭癌が次から次とみられた.これらの患者から次第に RET プロトオンコジーンの変異が見つかったということが,実はチェルノブイリ事故と甲状腺癌をつなぐ“同時性”をもったエビデンスであり,甲状腺発癌のダイナミズムを教えてくれるサインだったのである.
児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学ラボラトリー
(兼任:東京大学アイソトープ総合センター長)
Vol.41 “チェルノブイリ膀胱炎”―長期のセシウム137低線量被曝の危険性
医学のあゆみ 238巻第4号 2011年7月23日
http://plusi.info/wp-content/uploads/2011/08/Vol.41.pdf◎福島原発事故は,膨大な量のセシウム 137 飛散を引き起こした.汚染は,飯館村など 30 km 以遠,福島,郡山など福島都市圏,我孫子,柏など東葛 6 市にも広がる.食品の汚染では,神奈川県の相模原市,山北,松田両町のお茶が出荷停止となり,静岡県産のお茶はパリの空港で汚染が検出されている.心配されるのは,東北,関東の 108 名の母乳を分析したところ,福島県内の 7 名の母乳から 2~13 ベクレル/L のセシウム 137 が検出されたことである.
セシウム 137 は,核実験以前には地球上に存在しなかった.強いγ線を放出し,1987 年のゴイアニア被曝事故では死亡例も知られる.人体内では,腎臓から尿中に排泄される.日本バイオアッセイ研究センターの福島昭治所長は,チェルノブイリ現地の研究者と,膀胱癌の百万人あたりの発症が,86 年 26 人から 01 年 43 人に増加していることを発表し,その前癌状態として,増殖性の“チェルノブイリ膀胱炎”が広範に引き起こされていることを報告している.
前立腺肥大で手術を受けた際に切除された 164 名の膀胱病理像を,高いセシウム線量(5~30 Ci/km2),中間的線量(0.5~5 Ci/km2),非汚染地域の住民の 3 群にわけて検討して,そのメカニズムとして,NFκB と p38MAP キナーゼの活性化,NO 産生増加を介していることを示している.これら 3 群のヒトの尿中のセシウム 137 は,それぞれ,6.471.23 そして 0.29 ベクレル/L で,上記の福島県内の母乳と同じレベルであり,長期被曝が前癌状態を作り出すという報告は重要である.
今回のセシウム 137 汚染は 3 月 15 日に大半が,21 日から数日で一部が放出された一過性のものであり,除染でかなり除けるという特徴がある.
食品の汚染も一過性にピークを迎える.検出体制を急いで整備し,セシウム 137 で汚染された食品の摂取を避けることが緊急の課題となっている.現在,原発事故に従事している作業員や,飯館村など高汚染地区に住み続けている人は,セシウム 137 を吸着するペクチンなどの予防投与を検討する必要がある.
我々は子孫への責務を負っている.核実験による低レベル放射能を検出しアメリカでの公開実験を通じて核実験禁止の流れを生み出した,猿橋勝子博士に学ぶ必要がある.人間の生み出したものは,人間の努力で除去できないわけはない.現在の少量の高い線量の放射性物質を想定している法体系を,低線量のものが膨大に放出された福島原発事故に対応できるように変え,我が国の医学界も総力をあげ取り組む体制を整える必要がある.また損害賠償において被害者立証はいわば不可能であり,加害者(東電,政府)による被害全面賠償が必須であることを示している.
児玉龍彦/Tatsuhiko KODAMA
東京大学先端科学技術研究センターシステム生物医学ラボラトリー
Vol.28
チェルノブイリ原発事故から甲状腺癌の発症を学ぶ
―エビデンス探索 20 年の歴史を辿る
医学のあゆみ 231巻第4号 2009年10月24日
◎“エビデンス”という言葉が臨床研究で用いられる.
だがチェルノブイリ原発事故が甲状腺癌を増加させるというコンセンサスをつくるのに 20 年かかった歴史は忘れてはいけない.チェルノブイリの健康被害の研究に国際的に関わられた長崎大学名誉教授の長滝重信先生に,その 20 年の歴史と教訓をお聞きした.
第一は,安易な“エビデンス”論への疑問である.
アメリカ型の多数例を集めるメガスタディを行ってもエビデンスとはならず,その地域における疾患の全体を長年をかけて網羅的に把握することのみがコンセンサスを得るエビデンス発見法であったことである.
第二は,ある原因での疾患の発症は特定の時間経過でのみあらわれ,すぐ消えていくため,注意深い観察が必要である.我々の想像を上回る長い時間の経過が関わり,対策の求められているその瞬間には「エビデンスはない」ということがしばしば起こる事である.
逆システム学の見方でいえば,「統計より症例報告」という法則が重要である.多数例の軽微な変化より,極端なしかし端的な特徴をもつ少数例を現場でつかむことが,同時代の患者のために役立つ情報をもたらす可能性が強い.エビデンスがないということは,証明不能を語るだけで,因果関係の否定ではない.エビデンスを確立するには多数例の長い時間が必要であるため,短期においてはある地域に従来みられない特殊な患者が現れた時に即時に対応することが重要である,
例えばベラルーシに 1991 年,肺転移を伴う小児の甲状腺乳頭癌が次から次とみられた.これらの患者から次第に RET プロトオンコジーンの変異が見つかったということが,実はチェルノブイリ事故と甲状腺癌をつなぐ“同時性”をもったエビデンスであり,甲状腺発癌のダイナミズムを教えてくれるサインだったのである.