1863(文久3)年3月、京都寺町通りを歩いていた勝海舟
の前に3人の刺客が現れ、斬りつけてきた。
海舟の警護をしていた土佐の岡田以蔵は瞬時に長刀を抜くと、
襲ってきた一人を斬り捨てた。残りの2人は恐れをなして逃げ
ていった。すると海舟は以蔵を注意した。
「むやみに人を殺めるのはよくない。これからは気をつけるよ
うに」感謝されると思っていた以蔵はその言葉に耳を疑い、
「ですが私がいなかったら、先生の首は飛んでいたのですよ」
と反論した。
海舟は何度も命を狙われたが、一度も刀を抜いたことがない。
刀をひもで結び、抜けないようにしていた。
海舟は人の命は大切にしたが、自分の命にはあまり関心がない
ようだった。
健康についても同様である。こんなことを言って多くの人を煙
に巻いた。「長寿法なんて、ほかにはないよ。俗物には飲食を摂
して、適当な運動に努めなさいと言えばいい。しかし大人物には
そうはいかない。見なさい。俺などはいくら寒くても、こんな薄
っぺら着物を着て、こんな煎餅のような布団の上に座っているば
かりで別段運動をするわけでもない。
それでも気血はちゃんと循環していて、若い者もおよばないほど
達者ではないか。(堀田宗路、医学ジャーナリスト)
続く
の前に3人の刺客が現れ、斬りつけてきた。
海舟の警護をしていた土佐の岡田以蔵は瞬時に長刀を抜くと、
襲ってきた一人を斬り捨てた。残りの2人は恐れをなして逃げ
ていった。すると海舟は以蔵を注意した。
「むやみに人を殺めるのはよくない。これからは気をつけるよ
うに」感謝されると思っていた以蔵はその言葉に耳を疑い、
「ですが私がいなかったら、先生の首は飛んでいたのですよ」
と反論した。
海舟は何度も命を狙われたが、一度も刀を抜いたことがない。
刀をひもで結び、抜けないようにしていた。
海舟は人の命は大切にしたが、自分の命にはあまり関心がない
ようだった。
健康についても同様である。こんなことを言って多くの人を煙
に巻いた。「長寿法なんて、ほかにはないよ。俗物には飲食を摂
して、適当な運動に努めなさいと言えばいい。しかし大人物には
そうはいかない。見なさい。俺などはいくら寒くても、こんな薄
っぺら着物を着て、こんな煎餅のような布団の上に座っているば
かりで別段運動をするわけでもない。
それでも気血はちゃんと循環していて、若い者もおよばないほど
達者ではないか。(堀田宗路、医学ジャーナリスト)
続く