1995年の暮れ、福岡の実家に帰省していた私は、NHK
ドキュメンタリー放映で、チェルノイブイリ原発漏れが原
因で、隣国のエストニアの子供たちが甲状腺ガンなどで非
常に重い身体影響を受けて苦しんでいるという番組に胸を
いためながら見ていました。湾を挟んだ隣国のフィンラン
ドの紹介もあり、そこは冷凍庫のように寒い国だといい
ます。地球いう人間の住まいには、極端な温度差の中で
くらしている人たちもいるのです。
この放送で私は、自分と、関係ないように思っていたこと
を、あらためて突きつけられた思いをしました。
冷凍庫のように寒い国に思いをはせ、また原発事故のために
苦しみを背負わされた子供たちがいるに同情し、私はすぐに
も行って心導ヒーリングをしてあげたい気持ちでいっぱいに
なりました。
4年前の3.11日本の津波による原発事故が起きた時には、
サンフランシスコに住んでいましたので、その時の様子が良く
分かりませんでしたが、日本へ帰ってきて当時の災害ニュースを
見ながら、胸がいっぱいになりました。
日本が18年前のチェルノイブイリと同じ環境下に置かれていま
す。サンフランシスコから日本へ帰る時に、反対もされましたが、
18年前のことを思い出しながら、チェルノイブイリのその経験
を日本でも生かせるのではないかと、思っています。
この地球に安全地帯は、今はどこにも見当たらないので
は、それならこの地で探し出そう。
幸いなことに日本は四季があり、海山に囲まれていて、原子転換が
出来るので、チェルノイブイリよりよい環境下にあり、
ますので、「必ず、できる」の強い信念で、頑張りたいと思います。