昨日、郵便受けを覗くと1つの封筒が入っていました。
この時点で私は「例の物だ…」と確信しました。
その封筒のに入っていた「例の物」がこちらです。
中身は先日に応募して当選した「THE新幹線オリジナルピンバッジ」と記念通知です。
またピンバッジの内容は新800系、N700系、N700系70000番台、E5系とロゴマークの5種類です。
最後にですが現在、THE新幹線の携帯サイトでは4月8日まで全ての車両モデル・各駅スタンプを無料で配布しています。
まだ手に入れていない車両モデル・各駅スタンプのある方は是非、この機会に全て集めてみてはどうですか?
外部リンク
トレたび‐THE新幹線~公式HP
http://www.toretabi.jp/shinkansen/index.html
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今回は1986年まで列車が運行されていた旧福知山線の廃線跡を探訪してきました。
(取材日は平成22年3月24日[日曜日]です。)
摂津鉄道時代から活躍していた旧福知山線の魅力を数多くの写真を交えて紹介します。
武田尾駅を出て暫くの間、川沿いを進みます。
この辺りは民家が何軒か立ち並んでいるだけです。
(赤い橋脚の場所がスタート地点です。)
そして私は足元の枕木を頼りに歩き続けます。
スタート地点から暫く歩くと1個目のトンネルに入ります。
なおトンネル内部には照明が一切、存在しない為に懐中電灯などを必要とします。
トンネルを抜けると進行方向右側に渓流が見えてきます。
武庫川沿いを走っていた旧福知山線は「風光明美な路線」として知られています。
また旧福知山線は現福知山線とは異なり、全区間が単線区間でした。
更に道を進むと赤錆を帯びた鉄橋が見えてきます。
鉄橋に帯びた赤錆と枕木に生えた苔が長い歴史を感じさせます。
(鉄橋の枕木上に見える鉄線は線路を固定していた金具です。)
そしてその後も道は武庫川沿いに続きます。
心地よい春の日差しと渓流の流れが「日々の心の疲れ」を癒してくれます。
徒歩移動でしか味わえない醍醐味がこの廃線跡には数多く存在します。
また沿道には信号場跡や速度制限標識などの鉄道設備が存在します。
かつて裏側で安全運行を支えた鉄道設備の面影を探す事も廃線探訪の楽しみの一つです。
武田尾駅から歩く事約1時間半、廃線区間は終わりを告げて一般国道に入ります。
ここから更に15分程歩くと現福知山線の鉄橋が見えてきます。
そして武田尾駅から歩く事、約2時間。ゴール地点の生瀬駅に到着しました。
こうして私の今回の廃線探訪は完全に幕を下ろしました。
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今日は東海道新幹線の停車駅に関する話題です。
現在、東海道新幹線では東京、品川、新横浜、名古屋、京都、新大阪の6駅に全列車が停車しています。
今となっては「のぞみ」・「ひかり」が普通に停車するようになった上記の停車駅は開業当時はどの様であったのか…?
東海道新幹線が開通(1964年10月)すると同時に「ひかり」・「こだま」という2種類の列車が誕生しました。
速達列車の位置づけであった「ひかり」は当初、東京、名古屋、京都、新大阪の4駅のみに停車していました。
(「こだま」は現在と同様に東海道新幹線の各駅に停車していました。)
あまり知られてはいませんが京都駅は開業直前まで「ひかり」の停車駅候補に入ってはいませんでした。
開業前から出来る限り、所要時間を短縮する為に途中停車駅は名古屋のみと考えられていました。
ですが「京都は有名な観光地」・「通過しても所要時間に大差が無い」などの点から停車駅に追加されました。
そして「ひかり」は1976年には新たに新横浜駅(1日1往復)に停車する様になりました。
その後も、ダイヤ改正毎に停車本数は少しずつですが増加していきました。
また2008年3月のダイヤ改正で品川と新横浜の両駅に全列車が停車する様に変更されました。
これによって両駅の「のぞみ」・「ひかり」の停車本数が大幅に増加しました。
停車駅は開業当初よりも増えたものの所要時間は大幅に短縮されている…。
沿線の利便性と所要時間の短縮を両立した東海道新幹線は今後、更なる進化を遂げるでしょう。
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