先日、奥さんと娘がPTAのイベントに参加した。年に1回、市内の小中学校の合唱サークルが発表会をする、というものだ。最初は奥さんが伴奏と合唱という役割で参加していた。
練習は学校で行う。
↓
娘的にはママが学校に来てピアノを弾く!という思考。
↓
なら私も一緒に歌わないと。
↓
いつの間にか娘もメンバーに。
という流れ。PTAのイベントなので厳密にいうと児童は参加しないのだが、許可を取ったらしい。
奥さんはと言うと、春頃に伴奏者として打診され、学校の音楽室のグランドピアノが弾けるのラッキーくらいの気持ちで引き受けたらしい。自宅でも練習をしないといけいないが、我が家には電子ピアノ(スゲー安くて鍵盤が軽いヤツ)しかなかったが、私の実家にあるアップライトピアノを取り寄せた(母よ、ありがとう)。家でピアノの音色を聞くのは久しぶりだ。たまに私も鍵盤に指を落としてみたり。ピアノの練習をするのも何十年ぶりだろうか----。
我が家にピアノが届いたのは私が小学校低学年の時だ。習ったことがない母がどうしてもピアノが欲しくて自分で働いたお金をつぎ込んだ(ただし、練習用のピアノはそこまで高価ではない)。私が住んでいたマンションの真上の階にピアノを教えてくれる先生がたまたま住んでいたことがきっかけで母は習いに行くようになった。なぜか私も。行きたいって言ったようだ。
ピアノを習っていた(習っている)人にとって、最初の教本は「バイエル」のはず。今もそうだよね、とネットで確認したら、「えっ!バイエルってもう使ってないの?」って記事が・・・。そうなんだーと思いながらその記事を眺めていたら、「これやってた!」って教本がバーナムピアノテクニックである。このバーナムとバイエルと五線紙を持ってピアノに通っていた。五線紙?何に使うかって?聴音。簡単に言うと耳コピだ。先生が弾く音をどんな長さか、どの音階か、どんなリズムか、を音符として五線紙き書き込む。最初は簡単だったけど、そのうち和音になり♯や♭が出てきたり。だいたい1時間程度の練習だったけど、最後の15分が聴音だったので少しだけ嫌になってた。個人の先生だったがそれなりに生徒もいて、ピアノの発表会も行われた。会場は銀座だったかな?ほとんど記憶の彼方にある状態だが、実家に写真が残ってたので本物の記憶のようだ。
ただ、この先生一家が台湾に引っ越したため、私たちも別の先生に教えてもらうことになる(このころには母、私、弟の3人になっていた)。これまた同じ敷地内のマンションだが、別の棟だ。と言っても歩いて3分ほどの所。この先生の家にはグランドピアノがあった。練習する内容も変わりバーナムからハノンになった。スケールの練習にはなったが本当につまらなかった。相変わらずバイエルが終わってなかったので、ここでも続けることになった。ちなみに、ここの記事を読むととても懐かしい。私もバイエル(上巻)→バイエル(下巻)→ブルグミュラーの道を辿ってきた。当時は一般的だったと認識している。この先生は聴音はやらず、ひたすら楽譜とにらめっこするタイプだった。
中学生になりブルグミュラーも半分以上終わろうとしてた頃、好きな曲を弾きたいと思い、教本ではなくピアノピースをやりたいと先生にお願いしたら「いいよ」と。当時の私は、ピースは発表会の時に弾く特別な楽譜だった。もちろん難しいものだけでなく易しいものもある。先生に私のレベルに合った楽曲をいくつか候補として選んでもらって、まず先生に弾いてもらいその中から弾いてみたいものをやる、というやり方になった。
自分でやる、と言った以上、練習をしないでレッスンに行こうものなら「何しに来たの?」ってレベルで怒られたこともある。が、言い訳がましいが私は中学時代はテニス部だった。現代っ子には驚愕されるかもしれないが、ほぼ毎日練習があった。土日もどちらかは練習だ。顧問の先生も大変だったと思う。平日は授業後に部活。土日は朝から晩まで部活。ピアノの練習なんていつやるのだろう。当時のあるあるだ。
けれども、自分から辞めたいとは言わずに、自分で時間を作って(母に「練習しなさい」と言われながら)練習はしていた。弟はある日先生に「もう練習したくないから辞めます」と言って辞めたらしい、ということを母に聞いたときは「え、あいつスゲーな」と感心したものだ。
夏休み期間中に発表会があったので、部活の時間に少しだけ音楽室で練習したこともあった。顧問の先生に発表前に皆に披露してやれよと無茶振りされて即興でミニ発表会が始まったこともあった。今じゃ「パワハラだー!」と叫ばれてしまうかもしれないが、おおらかな時代だった。
高校入試前は練習を休みにしてもらって、本格的に受験勉強に時間を費やしているはずだったが、これもあるあるなのか勉強しないといけないと分かっていつつ別の何かをしてしまう。ゲームだったり、ゲームだったり、ピアノだったり。ピアノは気分転換にもってこいだったので、ゲームに飽きたらピアノを弾いていた。飽きるまでゲームやっている受験生ってどう思う?今の受験生はスマホでゲームしたりYouTube見たり誘惑が多いと思うけど、昔はファミコンかスーファミかゲームボーイしかなかったよね。皆さんの受験の敵は何でしたか?
高校も無事に合格し、新たなテニス人生の幕開けだ!と息巻いていたが、ピアノは引き続きやるってことで合意した。高校生になって授業時間も長くなるし通学時間もかかるし部活(球拾い)も長いし、最初は辞めようかと思ったが、最後にやりたい曲をやってからと思って続ける意思を見せた。
はずだったが、あまりにも練習をする時間が作れずに先生に「ごめんね」と謝ってピアノを辞めることにした。6年くらい続いたのかな?でもピアノをやってたおかげで楽譜を読むことに不自由しなかったし、歌を歌うことが好きになったし、音楽の成績はいつでも5だったし、音痴にもならなかった。ピアノをやってたおかげで吹奏楽部に入っても問題なくスッと練習に入れたのは大きい。しかも高校時代はTuba。いわゆる低音楽器でピアノでいうと左手のリズム担当である。管楽器なので出せる音は単音。必然的に楽譜に並ぶ音符は単音。難しいと思ったことはなかったが、楽器演奏の技術が伴わないことはしばしば。授業には来なくても部活がある日は必ず夕方から顔を出して練習をしていた。
ところで奥さんと娘。いい感じのステージであった。ステージに立って演奏することに羨ましさを覚えてしまい、実家に置きっぱなしの弦バスをいつ持って帰ってこようか、いつからみんなでセッションができるかな、と皮算用を始めるほどだ。まずは楽器をリペアに出して、ピアノももう2回ぐらい調律してもらって、、、なんて考えたら結構な額が飛んでいきそうなので、しばらくの間は娘の誕生日におばあちゃんに買ってもらったCASIOのキーボードで一緒に歌を歌おう。ちなみに娘は控えめに言っても音痴だったが、奥さんと一緒に歌の練習を続けることで耳で音を取るコツを体得したのか、一緒にカラオケに行っても「演奏停止」を押す衝動にかられなくなった。
奥さんはその日はメンバーと一緒に打ち上げに出かけた。超珍しい。必然的に娘と二人で夜ご飯を食べることになる。よし!いつも女子二人にはやられているから、パパと娘でスシローかはま寿司に行こうと考えたら、既に冷蔵庫におかずが作られていた。一枚上手だな。
今年ももう残りわずかですね。皆さん、メリークリスマス&よいお年をお迎えください。
---終わり
(照)
moniswitch
今お使いの離床センサーがそのまま使える!
離床センサーのスイッチ入れ忘れ事故を防止する
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
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カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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我が家にピアノが届いたのは私が小学校低学年の時だ。習ったことがない母がどうしてもピアノが欲しくて自分で働いたお金をつぎ込んだ(ただし、練習用のピアノはそこまで高価ではない)。私が住んでいたマンションの真上の階にピアノを教えてくれる先生がたまたま住んでいたことがきっかけで母は習いに行くようになった。なぜか私も。行きたいって言ったようだ。
ピアノを習っていた(習っている)人にとって、最初の教本は「バイエル」のはず。今もそうだよね、とネットで確認したら、「えっ!バイエルってもう使ってないの?」って記事が・・・。そうなんだーと思いながらその記事を眺めていたら、「これやってた!」って教本がバーナムピアノテクニックである。このバーナムとバイエルと五線紙を持ってピアノに通っていた。五線紙?何に使うかって?聴音。簡単に言うと耳コピだ。先生が弾く音をどんな長さか、どの音階か、どんなリズムか、を音符として五線紙き書き込む。最初は簡単だったけど、そのうち和音になり♯や♭が出てきたり。だいたい1時間程度の練習だったけど、最後の15分が聴音だったので少しだけ嫌になってた。個人の先生だったがそれなりに生徒もいて、ピアノの発表会も行われた。会場は銀座だったかな?ほとんど記憶の彼方にある状態だが、実家に写真が残ってたので本物の記憶のようだ。
ただ、この先生一家が台湾に引っ越したため、私たちも別の先生に教えてもらうことになる(このころには母、私、弟の3人になっていた)。これまた同じ敷地内のマンションだが、別の棟だ。と言っても歩いて3分ほどの所。この先生の家にはグランドピアノがあった。練習する内容も変わりバーナムからハノンになった。スケールの練習にはなったが本当につまらなかった。相変わらずバイエルが終わってなかったので、ここでも続けることになった。ちなみに、ここの記事を読むととても懐かしい。私もバイエル(上巻)→バイエル(下巻)→ブルグミュラーの道を辿ってきた。当時は一般的だったと認識している。この先生は聴音はやらず、ひたすら楽譜とにらめっこするタイプだった。
中学生になりブルグミュラーも半分以上終わろうとしてた頃、好きな曲を弾きたいと思い、教本ではなくピアノピースをやりたいと先生にお願いしたら「いいよ」と。当時の私は、ピースは発表会の時に弾く特別な楽譜だった。もちろん難しいものだけでなく易しいものもある。先生に私のレベルに合った楽曲をいくつか候補として選んでもらって、まず先生に弾いてもらいその中から弾いてみたいものをやる、というやり方になった。
自分でやる、と言った以上、練習をしないでレッスンに行こうものなら「何しに来たの?」ってレベルで怒られたこともある。が、言い訳がましいが私は中学時代はテニス部だった。現代っ子には驚愕されるかもしれないが、ほぼ毎日練習があった。土日もどちらかは練習だ。顧問の先生も大変だったと思う。平日は授業後に部活。土日は朝から晩まで部活。ピアノの練習なんていつやるのだろう。当時のあるあるだ。
けれども、自分から辞めたいとは言わずに、自分で時間を作って(母に「練習しなさい」と言われながら)練習はしていた。弟はある日先生に「もう練習したくないから辞めます」と言って辞めたらしい、ということを母に聞いたときは「え、あいつスゲーな」と感心したものだ。
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今年ももう残りわずかですね。皆さん、メリークリスマス&よいお年をお迎えください。
---終わり
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