毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
まずは明るい時から(2)
まだフォトチャンネルの使い方をマスターしていないため、写真の並び方が写した順になっていないように思う。まだまだ勉強の余地ありだが、かと言って並び順を変えるのも面倒なので、もうこのままにしておく。
陶の灯り道 昼編(3)
一応これですべての作品を網羅したはずだが、ひょっとしたら抜けがあるかもしれない。それも気にしないでおこう・・。
こうやって明るい時に見てみると、作品一つ一つのクオリティーが年々高くなっているような気がする。昨日も書いたようにプロのような人の作品もけっこうあるようなので、それも当然のことかもしれない。
ならば、我が町の名だたる陶芸家の作品がどれだけのものかも、披露しておく必要もあるだろう。市の中央にある橋の欄干に備え付けられた展示用のアクリルボックスに、著名な陶芸家の作品が収められていて、道行く人だれもが観賞できるようになっている。
まったくの門外漢である私には、これらの作品がどれだけ価値の高いものかはまるで分からない。しかし、こうした陶器をあえて青空の下で誰もが自由に観賞できるようにしてあるのは、素敵な試みだと思う。
それはさておき、「陶の灯り」作品から私なりに昼の部のベストを選ぶとすると、これ!
中学・高校の6年間、毎日乗った名鉄電車、通称「セトデン」!! 懐かしい!!
果たしてこれが夜になるとどのように見えるのか、楽しみだ。さあ、寒いけど、頑張って夜の部の写真も撮ってこよう!
陶の灯り道 昼編(3)
一応これですべての作品を網羅したはずだが、ひょっとしたら抜けがあるかもしれない。それも気にしないでおこう・・。
こうやって明るい時に見てみると、作品一つ一つのクオリティーが年々高くなっているような気がする。昨日も書いたようにプロのような人の作品もけっこうあるようなので、それも当然のことかもしれない。
ならば、我が町の名だたる陶芸家の作品がどれだけのものかも、披露しておく必要もあるだろう。市の中央にある橋の欄干に備え付けられた展示用のアクリルボックスに、著名な陶芸家の作品が収められていて、道行く人だれもが観賞できるようになっている。
まったくの門外漢である私には、これらの作品がどれだけ価値の高いものかはまるで分からない。しかし、こうした陶器をあえて青空の下で誰もが自由に観賞できるようにしてあるのは、素敵な試みだと思う。
それはさておき、「陶の灯り」作品から私なりに昼の部のベストを選ぶとすると、これ!
中学・高校の6年間、毎日乗った名鉄電車、通称「セトデン」!! 懐かしい!!
果たしてこれが夜になるとどのように見えるのか、楽しみだ。さあ、寒いけど、頑張って夜の部の写真も撮ってこよう!
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まずは明るい時から(1)
今月4日から、恒例となった「陶の灯り道」が駅前の国道沿いに開催されている。今年で4回目となるこの催しを、毎年このブログで紹介しているため、今年も例にならって写真を撮って来た。ただし、例年は灯りのついた夜の「陶の灯り道」から紹介してきたが、今年は少しばかり趣向を変えて、まずは陽光の中の灯りの写真から載せてみることにした。明るい時に見えた姿から、暗くなって灯りを点けた時にはどんな感じで見えるだろうか、と想像してみるのも楽しいだろう。
陶の灯り道 昼編(1)
昨年まで使っていたデジブックの使い方が面倒だったので、フォトチャンネルを貼りつけることにした。アップロードするのも簡単だし(まとめて何十枚も一度にアップロードできてしまう!!)、ブログに貼りつける操作もワンクリックで済む。これだけの機能があれば、デジブックなど要らない。もう来年は契約を更新するのはやめよう。
陶の灯り道 昼編(2)
これらの写真を撮りながら、びっくりしたことがあった。それは知り合いの人が作った作品が2つもあったことだ。1つ目は昼編(1)の表紙にした作品。これは近所の陶器屋さんの若旦那で、私の弟の同級生が作ったものである。若い頃にドイツ留学の経験があるためか、作品の題名がドイツ語で書いてあった。あいにく私はドイツ語は不如意なので、何という意味なのか分からなかった・・。
もう一つは、昼編(2)の表紙にした作品であるが、これは娘の同級生の手になるものであった。その子の祖父も父も著名な陶芸家であるため、彼もまた陶芸の道に進んでいるようだが、さすがに他の作品とは一線を画す風格があり、思わず「ううっ」と唸ってしまった。修行を重ねれば、きっと立派な陶芸家になることだろう・・。
今日のところはここまで。続きはまた明日。
陶の灯り道 昼編(1)
昨年まで使っていたデジブックの使い方が面倒だったので、フォトチャンネルを貼りつけることにした。アップロードするのも簡単だし(まとめて何十枚も一度にアップロードできてしまう!!)、ブログに貼りつける操作もワンクリックで済む。これだけの機能があれば、デジブックなど要らない。もう来年は契約を更新するのはやめよう。
陶の灯り道 昼編(2)
これらの写真を撮りながら、びっくりしたことがあった。それは知り合いの人が作った作品が2つもあったことだ。1つ目は昼編(1)の表紙にした作品。これは近所の陶器屋さんの若旦那で、私の弟の同級生が作ったものである。若い頃にドイツ留学の経験があるためか、作品の題名がドイツ語で書いてあった。あいにく私はドイツ語は不如意なので、何という意味なのか分からなかった・・。
もう一つは、昼編(2)の表紙にした作品であるが、これは娘の同級生の手になるものであった。その子の祖父も父も著名な陶芸家であるため、彼もまた陶芸の道に進んでいるようだが、さすがに他の作品とは一線を画す風格があり、思わず「ううっ」と唸ってしまった。修行を重ねれば、きっと立派な陶芸家になることだろう・・。
今日のところはここまで。続きはまた明日。
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入試日程 2011
2010年12月10日 / 塾
もう12月も10日過ぎた。センター入試まであと1か月ちょっとだし、例年よりも実施が早まった愛知県の私立中学の入試までもあと40日ちょっととなってしまった。毎日あれこれ考えながら、全力を尽くしているつもりだが、試験を受けるのは生徒たちであるため、歯がゆいこともしばしばある。それでも、生徒たちはそれなりに努力してくれているので、なんとか朗報がもたらされるよう、今まで以上に細心の注意を払っていかねばならない。
そこで、センター試験から始まる受験シーズンを間違いなく乗り切るために、今一度入試日程を整理しておくことにした。毎年のことながら、日程がごちゃ混ぜになって、何が何やら分からなくなってしまうこともあるので、備忘録も兼ねて以下に記しておく。
(見易くするため、中学入試は青、高校入試は緑、大学入試は茶色で記す)
1月
15・16日 センター試験
22日 愛知中・金城学院中・愛知工業大付属中・名古屋経済大学市邨中
23日 愛知工業大付属中・聖霊中・名古屋経済大学市邨中・春日丘中
29日 名古屋中・南山中女子部
30日 愛知淑徳中・椙山女学園中・春日丘中
31日 私立高校推薦入試
2月
5日 東海中・南山中男子部
6日 滝中
7~9日 私立高校一般入試
17日 公立高校推薦入試
25日~ 国公立大学前期日程試験
3月
10日 公立高校一般入試 A日程
12日 国公立大学後期試験
14日 公立高校一般入試 B日程
(注)私立大学の入試は1月末から2月末まで順次実施
以上全部終わるのは3カ月先のことだ。果たして3ヶ月後の私の表情はどうだろう?喜びで輝いているだろうか、それとも悲嘆にくれているだろうか・・。まったく予断は許さないが、己のやってきたことを信じて最後まで突き進むしかない。先週から今週にかけて、受験生の父兄と面談を行ってきたが、私に対しての期待がひしひしと伝わってきた。それを決して裏切らないよう、己を奮い立たせながら、何とか最後まで頑張っていかねばならない。
やるぞ!!
そこで、センター試験から始まる受験シーズンを間違いなく乗り切るために、今一度入試日程を整理しておくことにした。毎年のことながら、日程がごちゃ混ぜになって、何が何やら分からなくなってしまうこともあるので、備忘録も兼ねて以下に記しておく。
(見易くするため、中学入試は青、高校入試は緑、大学入試は茶色で記す)
1月
15・16日 センター試験
22日 愛知中・金城学院中・愛知工業大付属中・名古屋経済大学市邨中
23日 愛知工業大付属中・聖霊中・名古屋経済大学市邨中・春日丘中
29日 名古屋中・南山中女子部
30日 愛知淑徳中・椙山女学園中・春日丘中
31日 私立高校推薦入試
2月
5日 東海中・南山中男子部
6日 滝中
7~9日 私立高校一般入試
17日 公立高校推薦入試
25日~ 国公立大学前期日程試験
3月
10日 公立高校一般入試 A日程
12日 国公立大学後期試験
14日 公立高校一般入試 B日程
(注)私立大学の入試は1月末から2月末まで順次実施
以上全部終わるのは3カ月先のことだ。果たして3ヶ月後の私の表情はどうだろう?喜びで輝いているだろうか、それとも悲嘆にくれているだろうか・・。まったく予断は許さないが、己のやってきたことを信じて最後まで突き進むしかない。先週から今週にかけて、受験生の父兄と面談を行ってきたが、私に対しての期待がひしひしと伝わってきた。それを決して裏切らないよう、己を奮い立たせながら、何とか最後まで頑張っていかねばならない。
やるぞ!!
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「武士の家計簿」
「武士の家計簿」を見てきた。もちろん「ヤマト」も見に行くつもりだが、上映時間の関係で「ヤマト」は来週行くことにして、まずは「武士の家計簿」を見た。ストーリーは次のよう・・。
『御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に携ってきた猪山家八代目・直之(堺雅人)。そんな彼は、時に同僚からですら“算盤バカ”などと言われる男だった。時は江戸時代後半。天保の大飢饉などもあり、加賀百万石と謳われた藩も財政状況は芳しくない。加えて当時の武家社会には、身分が高くなるとそれに応じて出費も増えるという構造的な問題があった。直之は家財道具を処分し、借金の返済にあてることを決断。倹約生活を実行することになった猪山家の人々。とりわけ妻のお駒(仲間由紀恵)は、直之の一番の理解者として、明るく献身的に家を切り盛りしていく--。』
私は堺雅人という役者はあまり好きではない。いつも笑っているような顔がどうにもイヤで、いくら妻から元々ああいう顔だから仕方がないと説明されても納得できない。この映画でも、何でほくそ笑んでるんだろう?と思う場面が多く、あれがいいと思う人もいれば、鬱陶しいと思う人もいるだろうな、とずっと気になっていた。しかし、常に算盤を手放さず、収支の細かな部分までおろそかにせず、家計の健全化に全力で取り組んだ主人公にはピッタリの風采で、少々の顔の表情くらいは大目に見なければならないだろうと最後には思うことにした。
その妻役の仲間由紀恵は安心して見ていられた。どんな役でもそつなくこなす力量は大したものだ。「トリック」の時のストレートヘアーよりも、時代劇の髷を結った時の方が私としてはいいかなあ・・。
しかし、武士の対面をかなぐり捨てて家計を立て直そうとした直之の、名よりも実をとる姿勢は大いに見習うべきものがあると思った。私のようないい加減な者には、家計簿をつけることなどとてもできないことだが、いつの間にかお金がなくなってしまうと嘆いているくらいなら、せめて大まかなお金の流れくらいはきちんと把握しておくべきだろうと、自戒した。どんぶり勘定ばかりだと、いつかは行き詰ってしまうから・・。
そんなことを思いながら見ていたら、鴎外の「高瀬舟」の一節を思い出した。
『庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた』
かつてもこれと同じ個所を引用したことがある。(「高瀬舟」)その時は、借金地獄に堕ち込まないようにするには「足る」ということがどれだけ大切であり、どれだけ難しことかを書いたつもりだ。しかし、借金で首が回らなくなった場合、そこから抜け出すためには、落ちないようにする時の何倍も厳しく「足る」を知らなければおいそれと抜け出せない。その覚悟を決める時の難しさ、辛さをこの映画は教えてくれている・・。
決して胸踊らせるような映画ではないが、見終わってゆっくりと反芻していくとジワジワと味わいが深まっていくような映画だと思う。
『御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に携ってきた猪山家八代目・直之(堺雅人)。そんな彼は、時に同僚からですら“算盤バカ”などと言われる男だった。時は江戸時代後半。天保の大飢饉などもあり、加賀百万石と謳われた藩も財政状況は芳しくない。加えて当時の武家社会には、身分が高くなるとそれに応じて出費も増えるという構造的な問題があった。直之は家財道具を処分し、借金の返済にあてることを決断。倹約生活を実行することになった猪山家の人々。とりわけ妻のお駒(仲間由紀恵)は、直之の一番の理解者として、明るく献身的に家を切り盛りしていく--。』
私は堺雅人という役者はあまり好きではない。いつも笑っているような顔がどうにもイヤで、いくら妻から元々ああいう顔だから仕方がないと説明されても納得できない。この映画でも、何でほくそ笑んでるんだろう?と思う場面が多く、あれがいいと思う人もいれば、鬱陶しいと思う人もいるだろうな、とずっと気になっていた。しかし、常に算盤を手放さず、収支の細かな部分までおろそかにせず、家計の健全化に全力で取り組んだ主人公にはピッタリの風采で、少々の顔の表情くらいは大目に見なければならないだろうと最後には思うことにした。
その妻役の仲間由紀恵は安心して見ていられた。どんな役でもそつなくこなす力量は大したものだ。「トリック」の時のストレートヘアーよりも、時代劇の髷を結った時の方が私としてはいいかなあ・・。
しかし、武士の対面をかなぐり捨てて家計を立て直そうとした直之の、名よりも実をとる姿勢は大いに見習うべきものがあると思った。私のようないい加減な者には、家計簿をつけることなどとてもできないことだが、いつの間にかお金がなくなってしまうと嘆いているくらいなら、せめて大まかなお金の流れくらいはきちんと把握しておくべきだろうと、自戒した。どんぶり勘定ばかりだと、いつかは行き詰ってしまうから・・。
そんなことを思いながら見ていたら、鴎外の「高瀬舟」の一節を思い出した。
『庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた』
かつてもこれと同じ個所を引用したことがある。(「高瀬舟」)その時は、借金地獄に堕ち込まないようにするには「足る」ということがどれだけ大切であり、どれだけ難しことかを書いたつもりだ。しかし、借金で首が回らなくなった場合、そこから抜け出すためには、落ちないようにする時の何倍も厳しく「足る」を知らなければおいそれと抜け出せない。その覚悟を決める時の難しさ、辛さをこの映画は教えてくれている・・。
決して胸踊らせるような映画ではないが、見終わってゆっくりと反芻していくとジワジワと味わいが深まっていくような映画だと思う。
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手術
12月になったら、猫のチョボに避妊手術を受けさせる手はずになっていた。家から外に出て行って、一晩中帰ってこないことも度々になってきたので、いつの間にか孕んでしまったら大変だと、獣医との約束通り連れて行った。
この猫は殺処分される寸前のものを拾って来たようなものだったから、家に来た時は本当にひどい状態だった。痩せさらばえ、まさに骨と皮の状態で、見るも無残だった。その上、体中にノミが巣食っていて、すぐに何度も洗ってやったが、きれいになるまでにはかなりの時間がかかった。しかも、鼻に障害があるようで、やたらくしゃみを連発する。ひどい時は1分くらいずっとくしゃみを続け、鼻水を周囲に撒き散らす。顔を見ても鼻の周りが茶色くなっていて、お世辞にも可愛いとは言い難い・・。
そんな猫でも、縁あって我が家にやってきた以上、家族の一員だ。一応の世話を焼いているうちに体全体が丸々してきた。
これは手術前夜の写真。これを最後に手術まで絶食となった。ミャ―ミャ―うるさかったが、我慢してお腹をすかせた状態で獣医まで連れていった。オス猫の去勢手術なら日帰りでいいだろうが、メス猫の場合は一晩入院しなければならないだろうと思っていたが、案に反して日帰りできるのだそうだ。事実、11時半くらいに連れて行って、「手術が無事終了しました」と獣医から電話があったのが2時頃。実にはやい!でも、獣医が説明したところによると、チョボの卵巣と子宮はかなり小さくて、妊娠はたぶんできなかっただろう、それは生まれてすぐの環境が劣悪で、発育不全だったのが原因と思われる、とのことだった。この話を聞いたときは、チョボの哀れな境遇に同情したが、今こうやって生きていられるだけでもチョボは幸せ者かな、とも思った。チョボと一緒にケージの中で鳴いていた兄弟たちはとっくの昔に死んでいるだろうから、生きているだけでも儲けものかもしれない・・。
塾が終わって家に帰ったら、椅子の上でチョボが寝ていた。
獣医から独りで引き取ってきた妻から、ちょっとした説明を聞きながら、チョボの様子を見ていたら、まだ麻酔が切れていないようで、あまり痛そうではないようだった。舐めてもいいとかで、手術箇所に特別ガーゼが当ててあるようなこともなく、手術跡もむき出しらしい。傷跡とかを見るのが大の苦手の臆病者の私では、とても正視に耐えられないだろうと、傷跡を見ることもしなかったが、妻は動物病院でチョボから取りだされた子宮を見せてもらったそうだ。なんて豪胆・・。
しばらく見ていたら、私の気配に気付いたのか、ゆっくりと起き上がって椅子からそっと下りた。ゆっくり歩き出したので、「チョボ!」と声をかけたら、ちょこんと座ってポーズを決めてくれたので、写真に収めた。まあ、なんてけなげ・・。
傷口は時間が治していってくれるだろう。今は痛いかもしれないが、もうこれでどれだけ外で遊んできても、誰も何も言わないよ。腹いっぱい食べて、元気に遊んで、疲れたら家でゴロゴロしてくれ。もっともっと大きくなれよ!!
この猫は殺処分される寸前のものを拾って来たようなものだったから、家に来た時は本当にひどい状態だった。痩せさらばえ、まさに骨と皮の状態で、見るも無残だった。その上、体中にノミが巣食っていて、すぐに何度も洗ってやったが、きれいになるまでにはかなりの時間がかかった。しかも、鼻に障害があるようで、やたらくしゃみを連発する。ひどい時は1分くらいずっとくしゃみを続け、鼻水を周囲に撒き散らす。顔を見ても鼻の周りが茶色くなっていて、お世辞にも可愛いとは言い難い・・。
そんな猫でも、縁あって我が家にやってきた以上、家族の一員だ。一応の世話を焼いているうちに体全体が丸々してきた。
これは手術前夜の写真。これを最後に手術まで絶食となった。ミャ―ミャ―うるさかったが、我慢してお腹をすかせた状態で獣医まで連れていった。オス猫の去勢手術なら日帰りでいいだろうが、メス猫の場合は一晩入院しなければならないだろうと思っていたが、案に反して日帰りできるのだそうだ。事実、11時半くらいに連れて行って、「手術が無事終了しました」と獣医から電話があったのが2時頃。実にはやい!でも、獣医が説明したところによると、チョボの卵巣と子宮はかなり小さくて、妊娠はたぶんできなかっただろう、それは生まれてすぐの環境が劣悪で、発育不全だったのが原因と思われる、とのことだった。この話を聞いたときは、チョボの哀れな境遇に同情したが、今こうやって生きていられるだけでもチョボは幸せ者かな、とも思った。チョボと一緒にケージの中で鳴いていた兄弟たちはとっくの昔に死んでいるだろうから、生きているだけでも儲けものかもしれない・・。
塾が終わって家に帰ったら、椅子の上でチョボが寝ていた。
獣医から独りで引き取ってきた妻から、ちょっとした説明を聞きながら、チョボの様子を見ていたら、まだ麻酔が切れていないようで、あまり痛そうではないようだった。舐めてもいいとかで、手術箇所に特別ガーゼが当ててあるようなこともなく、手術跡もむき出しらしい。傷跡とかを見るのが大の苦手の臆病者の私では、とても正視に耐えられないだろうと、傷跡を見ることもしなかったが、妻は動物病院でチョボから取りだされた子宮を見せてもらったそうだ。なんて豪胆・・。
しばらく見ていたら、私の気配に気付いたのか、ゆっくりと起き上がって椅子からそっと下りた。ゆっくり歩き出したので、「チョボ!」と声をかけたら、ちょこんと座ってポーズを決めてくれたので、写真に収めた。まあ、なんてけなげ・・。
傷口は時間が治していってくれるだろう。今は痛いかもしれないが、もうこれでどれだけ外で遊んできても、誰も何も言わないよ。腹いっぱい食べて、元気に遊んで、疲れたら家でゴロゴロしてくれ。もっともっと大きくなれよ!!
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エビゾーと同じ誕生日
人類を進歩させてきた原動力は、想像力と創造力であると私は思っている。想像力がなければ何も創造できないだろうし、創造力がなければ想像を現実のもにはできない。常々思ってきたことだが、昨日それを具象化したものを見つけた・・。
ドーナッツのようでドーナッツではない。チョコリングでもない・・。
じゃあ、何だろう?
白い上蓋なようなものを開けると、小さな目玉のようなものが出てきた。一見すると、カタツムリのよう・・。だが、じっと見れば、白いテープが出ているのが分かる。そう、これはセロテープ!!
白い部分がカッターの役目をしている。面白い!!
セロテープの性質上、筒状になるのは避けられないだろうが、それからカタツムリの形態を想像し、それをドーナツ状の製品へと昇華させた創造力には驚いてしまう。すごいセロテープだ。
これを持っていた女子中学生に借りて、妻に「これ何か分かる?」と見せたところ、「『SCOTCH』って書いてあるから、セロテープかなんかでしょう・・」と簡単に答えられてしまった。確かにロゴがあるからいけないんだが、そんものに気付かずにもう少し形に拘泥して欲しかった・・、残念・・。
まあ、妻には同じ丸でもこちらの方が良かったみたいだ・・。
小さなケーキでろうそくも1本しか立てられなかったが、その一本に52年分の思いを込めたつもり・・。
ドーナッツのようでドーナッツではない。チョコリングでもない・・。
じゃあ、何だろう?
白い上蓋なようなものを開けると、小さな目玉のようなものが出てきた。一見すると、カタツムリのよう・・。だが、じっと見れば、白いテープが出ているのが分かる。そう、これはセロテープ!!
白い部分がカッターの役目をしている。面白い!!
セロテープの性質上、筒状になるのは避けられないだろうが、それからカタツムリの形態を想像し、それをドーナツ状の製品へと昇華させた創造力には驚いてしまう。すごいセロテープだ。
これを持っていた女子中学生に借りて、妻に「これ何か分かる?」と見せたところ、「『SCOTCH』って書いてあるから、セロテープかなんかでしょう・・」と簡単に答えられてしまった。確かにロゴがあるからいけないんだが、そんものに気付かずにもう少し形に拘泥して欲しかった・・、残念・・。
まあ、妻には同じ丸でもこちらの方が良かったみたいだ・・。
小さなケーキでろうそくも1本しか立てられなかったが、その一本に52年分の思いを込めたつもり・・。
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今日まで、そして明日からも
Every breath you take and every move you make
Every bond you break
Every step you take, I'll be watching you
Every single day and every word you say
Every game you play
Every night you stay, I'll be watching you
Oh can't you see you belong to me?
How my poor heart aches with every step you take
Every move you make and every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake, I'll be watching you
Since you've gone I've been lost without a trace
I dream at night
I can only see your face
I look around but it's you I can't replace
I feel so cold and I long for your embrace
I keep crying baby, baby please
Oh can't you see you belong to me?
How my poor heart aches with every step you take
Every move you make
And every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake, I'll be watching you
Every move you make
Every step you take, I'll be watching you, I'll be watching you
Every breath you take
Every move you make
Every bond you break
Every step you take, I'll be watching you
Every single day
Every word you say
Every game you play
Every night you stay, I'll be watching you
Every move you make
Every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake, I'll be watching you
Every single day
Every word you say
Every game you play
Every night you stay, I'll be watching you
Every breath you take
Every move you make
Every bond you break
Every step you take, I'll be watching you
Every single day
Every word you say
Every game you play
Every night you stay, I'll be watching you
Every move you make
Every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake, I'll be watching you
Every single day
Every word you say
Every game you play
Every night you stay, I'll be watching you
Every breath you take
Every move you make
Every bond you break
Every step you take, I'll be watching you
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ジオラマ(16)
いくら「昭和の鉄道模型をつくる」にうつつを抜かしてると言っても、「少年時代」をおろそかにしているわけではない(つもり・・)。4巻分を作成したらこのブログに載せるという慣習も忘れたわけではない。さすがに毎号きちんと、というわけにはいかなかったが、とりあえず64号まで一気に作ってみた。
と言っても、もう大きな進展を期待できるわけではなく、細部を作り込んでいく段階であるためさほどの面白さはないと思っていた。事実、61号では付録の小さなライトバンとトラックを配置するだけだし、分校周辺を余ったフォーリッジで飾るだけの作業だった。
自動車はやはり動いた方がいいだろうと思ってボンドで貼りつけてない。転がったりして邪魔くさくなったら貼り付けようと思っているが・・。
62号の付録はオートバイと自転車。小さなフィギュアなので、組み立てて貼りつけるのにはかなり苦労した。初めはフィギュアなど必要ないだろうと思っていたが、実際に貼りつけてみたら、俄然町に活気が出てきたように感じられ、やはり人間の息吹があってこそのジオラマなんだな、と初めて知った。
駅と雑貨店付近にもフォーリッジを貼った。
63号では焼きいも屋とおでん屋を組み立て、それぞれかやぶき農家前と駅前雑貨店の前に設置した。これもまた小さなフィギュアなので、細かい作業の苦手な私には辛い作業だった。
さらに64号で、ラーメン屋とうどん屋が付録となっていて、それを組み立てた後に、分校の一角に設置した。
これは小さなものである上に、分校の前が桜の木や藤棚などのために狭くなっていて、ピンセット使わずには完成できそうもないほど細かな作業であったため、かなり疲れた。これからはずっとこんな作業ばかりかと思うと、すこしばかりゲンナリしてしまう。
それでも不思議なものでフィギュアのお陰で、ジオラマ全体が賑やかになった気がする。「昭和の鉄道模型」と比べると、「少年時代」には緑が多く、フィギュアが多いように思われるが、街を華やいだものにするには無くてはならないアイテムのようだ・・。
そう言えば、後からつけ足した寺の境内も、参拝客くらいいた方がいいだろうと思って、「お寺の人々」というフィギュアを買っていた。それを思い出したので、さっそく配置してみた。
これもまたいい感じ・・。
あと残すところ11巻!!
と言っても、もう大きな進展を期待できるわけではなく、細部を作り込んでいく段階であるためさほどの面白さはないと思っていた。事実、61号では付録の小さなライトバンとトラックを配置するだけだし、分校周辺を余ったフォーリッジで飾るだけの作業だった。
自動車はやはり動いた方がいいだろうと思ってボンドで貼りつけてない。転がったりして邪魔くさくなったら貼り付けようと思っているが・・。
62号の付録はオートバイと自転車。小さなフィギュアなので、組み立てて貼りつけるのにはかなり苦労した。初めはフィギュアなど必要ないだろうと思っていたが、実際に貼りつけてみたら、俄然町に活気が出てきたように感じられ、やはり人間の息吹があってこそのジオラマなんだな、と初めて知った。
駅と雑貨店付近にもフォーリッジを貼った。
63号では焼きいも屋とおでん屋を組み立て、それぞれかやぶき農家前と駅前雑貨店の前に設置した。これもまた小さなフィギュアなので、細かい作業の苦手な私には辛い作業だった。
さらに64号で、ラーメン屋とうどん屋が付録となっていて、それを組み立てた後に、分校の一角に設置した。
これは小さなものである上に、分校の前が桜の木や藤棚などのために狭くなっていて、ピンセット使わずには完成できそうもないほど細かな作業であったため、かなり疲れた。これからはずっとこんな作業ばかりかと思うと、すこしばかりゲンナリしてしまう。
それでも不思議なものでフィギュアのお陰で、ジオラマ全体が賑やかになった気がする。「昭和の鉄道模型」と比べると、「少年時代」には緑が多く、フィギュアが多いように思われるが、街を華やいだものにするには無くてはならないアイテムのようだ・・。
そう言えば、後からつけ足した寺の境内も、参拝客くらいいた方がいいだろうと思って、「お寺の人々」というフィギュアを買っていた。それを思い出したので、さっそく配置してみた。
これもまたいい感じ・・。
あと残すところ11巻!!
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「ハジ・ムラート」
2週間ほど前に、没後100年経ったトルストイの「ハジ・ムラート」を読みたいが見つからない、といった記事を書いたところ、すぐに高性能アンテナの持ち主、ゴジ健さんが探し出して下さった。「新潮世界文学 20 トルストイⅤ」の中に収録されており、アマゾンで中古品を買うことができるとまで親切に教えてくださったのには、感激した。さっそく注文したところ、2日ほどで送られてきた。
1971年に刊行された本でありながら、とても40年前の本だとは思えないくらいの美品で嬉しくなってしまった。驚いたことには、この一冊の中に「復活」「イワン・イリッチの死」「悪魔」「クロイチェル・ソナタ」「神父セルギイ」、そして「ハジ・ムラート」の7作が集められている。私はこの「新潮世界文学」は48,49の「カミュⅠ」と「Ⅱ」を持っていて、この2冊でカミュの主要作品は網羅されていると思えるほど、すごい文学全集だと思っていたが、まさか今になってトルストイの巻と出会うことになるとは思ってみなかった。そんな本を手に取ることができたのも、ひとえにゴジ健さんの尽力の賜物であり、いくら感謝しても足りない・・。
今では珍しくなった2段組みのページでおよそ110ページ、さほどの分量ではないが、読み終わるのにかなり時間がかかってしまた。決して面白くなかたとか、読み辛い文章であったとかいうわけではない。30年ぶりに読んだトルストイは、聳え立つ巨峰のようでいて、決して人を寄せ付けないほどの峻厳さをもってはいず、むしろ読む者すべてを包み込むような豊かさを湛えた湖のようでもあった。物語のあらすじについては、「トルストイ」の記事の中で引用した辻原登の要約が当を得ているから、再録してみる。
『主人公はチェチェン人の、ロシアによって虐げられた人々の抵抗運動のリーダー、中年の武人、ハジ・ムラート。彼は同族の首領の嫉妬から不当な迫害を受け、母や妻、息子を人質に取られ、彼らを救出するためにロシア軍に投じるが、ロシア軍からも裏切られ、何百人ものロシア兵を相手に凄絶な戦いの中で斬殺される。彼の生首が斬り取られる」』
悲しく辛い話だ。だが、その組み立ては重厚で、中編だとは思えないほど場面転換は多岐に渡っており、読みながら「戦争と平和」の世界を思いだしたほどだった・・。
しかし、不勉強な私では歴史的な背景にくわしくなく、トルストイの意図を十全に理解したとは言い難い。そこで、世界史の参考書を出してきて、物語の舞台となった19世紀半ばのカフカス地方について調べてみたが、そこは様々な言語・文化・宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしている地域であり、近隣、特にロシアとの関係は縺れた糸のように絡み合い、付け焼き刃な勉強ではとても追い付けないと痛感した。下手に知ったかぶりをするよりは、虚心坦懐にトルストイの声にじっと傾けたほうがずっといい。
冒頭部分から・・。
『《タタール草》の茂みは三本の茎からなっていた。一本は折りとられて、切りおとされた腕のように、枝の残りが突き出ていた。あとの二本の茎はそれぞれ一つずつ花をつけていた。その花はかつては赤かったのだろうが、今は黒っぽく変わっていた。その一本は中ほどから折られて、汚なくよごれた花をつけた頭をだらりと垂れていた。もう一本は、黒土の泥をかぶってはいたが、それでもまだきっと頭を突き立てていた。その姿はさながら身体の一部を切り裂かれ、内臓をひきぬかれ、腕をもぎとられ、目をえぐりとられたかのようであった。それでもこの鬼薊は立っていた、そしてまわりのすべての仲間を滅ぼした人間に降伏しようとしなかった。
「なんというたくましいエネルギーだろう!」とわたしは舌を巻いた。「人間がすべてを征服し、数百万の草の生命を奪ったのに、この鬼薊だけはなお頑張りつづけているのだ」』
それこそが、ハジ・ムラートの生き様・死に様であり、強国の専横に屈することを拒み続けた山の民の心なのであろう・・。
1971年に刊行された本でありながら、とても40年前の本だとは思えないくらいの美品で嬉しくなってしまった。驚いたことには、この一冊の中に「復活」「イワン・イリッチの死」「悪魔」「クロイチェル・ソナタ」「神父セルギイ」、そして「ハジ・ムラート」の7作が集められている。私はこの「新潮世界文学」は48,49の「カミュⅠ」と「Ⅱ」を持っていて、この2冊でカミュの主要作品は網羅されていると思えるほど、すごい文学全集だと思っていたが、まさか今になってトルストイの巻と出会うことになるとは思ってみなかった。そんな本を手に取ることができたのも、ひとえにゴジ健さんの尽力の賜物であり、いくら感謝しても足りない・・。
今では珍しくなった2段組みのページでおよそ110ページ、さほどの分量ではないが、読み終わるのにかなり時間がかかってしまた。決して面白くなかたとか、読み辛い文章であったとかいうわけではない。30年ぶりに読んだトルストイは、聳え立つ巨峰のようでいて、決して人を寄せ付けないほどの峻厳さをもってはいず、むしろ読む者すべてを包み込むような豊かさを湛えた湖のようでもあった。物語のあらすじについては、「トルストイ」の記事の中で引用した辻原登の要約が当を得ているから、再録してみる。
『主人公はチェチェン人の、ロシアによって虐げられた人々の抵抗運動のリーダー、中年の武人、ハジ・ムラート。彼は同族の首領の嫉妬から不当な迫害を受け、母や妻、息子を人質に取られ、彼らを救出するためにロシア軍に投じるが、ロシア軍からも裏切られ、何百人ものロシア兵を相手に凄絶な戦いの中で斬殺される。彼の生首が斬り取られる」』
悲しく辛い話だ。だが、その組み立ては重厚で、中編だとは思えないほど場面転換は多岐に渡っており、読みながら「戦争と平和」の世界を思いだしたほどだった・・。
しかし、不勉強な私では歴史的な背景にくわしくなく、トルストイの意図を十全に理解したとは言い難い。そこで、世界史の参考書を出してきて、物語の舞台となった19世紀半ばのカフカス地方について調べてみたが、そこは様々な言語・文化・宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしている地域であり、近隣、特にロシアとの関係は縺れた糸のように絡み合い、付け焼き刃な勉強ではとても追い付けないと痛感した。下手に知ったかぶりをするよりは、虚心坦懐にトルストイの声にじっと傾けたほうがずっといい。
冒頭部分から・・。
『《タタール草》の茂みは三本の茎からなっていた。一本は折りとられて、切りおとされた腕のように、枝の残りが突き出ていた。あとの二本の茎はそれぞれ一つずつ花をつけていた。その花はかつては赤かったのだろうが、今は黒っぽく変わっていた。その一本は中ほどから折られて、汚なくよごれた花をつけた頭をだらりと垂れていた。もう一本は、黒土の泥をかぶってはいたが、それでもまだきっと頭を突き立てていた。その姿はさながら身体の一部を切り裂かれ、内臓をひきぬかれ、腕をもぎとられ、目をえぐりとられたかのようであった。それでもこの鬼薊は立っていた、そしてまわりのすべての仲間を滅ぼした人間に降伏しようとしなかった。
「なんというたくましいエネルギーだろう!」とわたしは舌を巻いた。「人間がすべてを征服し、数百万の草の生命を奪ったのに、この鬼薊だけはなお頑張りつづけているのだ」』
それこそが、ハジ・ムラートの生き様・死に様であり、強国の専横に屈することを拒み続けた山の民の心なのであろう・・。
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TV中継
昨日、お千代保稲荷へ月参りに行ったところ、いつもなら係員の人などいない駐車場に何人かのおばちゃんがいて、案内をしていた。日曜ならよく見かける光景だが、平日にこんなことは今までなかった。不思議に思って、駐車料金を集めに来たおばちゃんにどうしてなのか尋ねてみた。すると、
「今日はね、NHKの中継が昼からあるから、お客さんがたくさん来るだろうと思って」
などと思ってもみなかった返事をくれた。
「12時20分からの『ふるさと一番!』なのかなあ・・」
「そうそう、その番組」
周りを見ると、駐車場の奥にNHKの中継車が止まっていた。
「本当だ。それは楽しみだなあ・・」
と参道を歩いていくと、どことなく両側の店の人たちからも華やいだ雰囲気が感じられ、誰もがいつもより元気そうに見えた。
「そりゃあ、全国放送で、しかも生中継だもんね」
そのせいか、本殿の前に供えられた油揚げもいつもより多かった・・。
自分としては、いつも通りに丁寧にお参りしたつもりだったが、ひょっとしたら少しばかり集中力が欠けていたかもしれない。だって、やっぱりNHKだもの・・。
そうは言っても、12時になったばかりで中継開始まではまだ少し待たねばならなかった。
「じゃあ、先に昼飯を食べるか」
といつものうどん屋に入って腹ごしらえをした。
ちょうど頼んだものが運ばれてきた頃に、備え付けのTVで『ふるさと一番!』が始まった。自分のいる場所から目と鼻の先のところがTVに映っているのを見るのも不思議な感じがした。TVを見ている店主と雑談をしながら、かき揚げそばをすすったが、やはり実際の中継の様子を生で見たい。食べ終わるとすぐに、近くまでやってきた出演者やスタッフの写真を撮りに店を出た。
NHKの女性アナウンサーと、タレントの林マヤが参拝しがてら参道に並ぶ店を回っていく、という趣向のようだったが、大勢のスタッフに囲まれ、またその外側には参拝客が撮影の様子を眺めているので、近くまで寄ることができず、思うような写真が撮れなかった。それでも、大学いも屋、串カツ屋などでインタビューする様子を遠巻きに眺められて、楽しかった。
田舎者の私では、TV中継に出くわしたことなど今まであまりなかった。こんなに近くで見学できたのは初めてかもしれない。それだけに番組作りにかくも大勢の人が関わっているのを知って驚いた。まさか、あんぐりと口を開けて撮影の一行を眺めていた私のバカ面がTVに映ったりはしなかっただろうが、もし映ったりしていたらある方面からクレームが届きそうで、今はそれがちょっと心配でだ・・。
「今日はね、NHKの中継が昼からあるから、お客さんがたくさん来るだろうと思って」
などと思ってもみなかった返事をくれた。
「12時20分からの『ふるさと一番!』なのかなあ・・」
「そうそう、その番組」
周りを見ると、駐車場の奥にNHKの中継車が止まっていた。
「本当だ。それは楽しみだなあ・・」
と参道を歩いていくと、どことなく両側の店の人たちからも華やいだ雰囲気が感じられ、誰もがいつもより元気そうに見えた。
「そりゃあ、全国放送で、しかも生中継だもんね」
そのせいか、本殿の前に供えられた油揚げもいつもより多かった・・。
自分としては、いつも通りに丁寧にお参りしたつもりだったが、ひょっとしたら少しばかり集中力が欠けていたかもしれない。だって、やっぱりNHKだもの・・。
そうは言っても、12時になったばかりで中継開始まではまだ少し待たねばならなかった。
「じゃあ、先に昼飯を食べるか」
といつものうどん屋に入って腹ごしらえをした。
ちょうど頼んだものが運ばれてきた頃に、備え付けのTVで『ふるさと一番!』が始まった。自分のいる場所から目と鼻の先のところがTVに映っているのを見るのも不思議な感じがした。TVを見ている店主と雑談をしながら、かき揚げそばをすすったが、やはり実際の中継の様子を生で見たい。食べ終わるとすぐに、近くまでやってきた出演者やスタッフの写真を撮りに店を出た。
NHKの女性アナウンサーと、タレントの林マヤが参拝しがてら参道に並ぶ店を回っていく、という趣向のようだったが、大勢のスタッフに囲まれ、またその外側には参拝客が撮影の様子を眺めているので、近くまで寄ることができず、思うような写真が撮れなかった。それでも、大学いも屋、串カツ屋などでインタビューする様子を遠巻きに眺められて、楽しかった。
田舎者の私では、TV中継に出くわしたことなど今まであまりなかった。こんなに近くで見学できたのは初めてかもしれない。それだけに番組作りにかくも大勢の人が関わっているのを知って驚いた。まさか、あんぐりと口を開けて撮影の一行を眺めていた私のバカ面がTVに映ったりはしなかっただろうが、もし映ったりしていたらある方面からクレームが届きそうで、今はそれがちょっと心配でだ・・。
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