大学3年の夏だったか、卒論はどの先生につくか、選ぶ時期が来た。
学内、学外と卒論生を受け入れる研究室の一覧があって、師事したいと思う先生との面談に研究室を回る。
2か所の研究室で話を聞いて、若い女性の講師の先生は、植物細胞を培養して、細胞壁にある酵素の生化学研究をされていた。
私は細胞培養に関心があったので、生化学は得意の分野ではなかったが、先生の穏やかそうな笑顔や落ち着いた話し方にも魅かれて、この先生のもとで卒論を研究しようと決めた。
その先生の授業は取ったことがなかった。
先生は出産を控えていて、卒論生は1名しか採らなかった。
3年の秋、卒論の先生は、アルバイトに姪御さんの家庭教師をしないか、と仕事を紹介してくれた。
そのとき、大学院生が中学受験の小学6年生の家庭教師をしていて、家庭教師を辞めるので、後任を捜しているということだった。
私の家は大学からは1時間50分もかかる郊外にあったが、姪御さんは、うちの駅の隣の駅の団地に住んでいた。
その近さのことがあって、私のところに話が来たのだろうと思う。
その前に夏休みにもその先生が、通信教育のスクーリングの助手をしないかという話をくれて、全国から来るスクーリングの学生の生化学実験のアシスタントのアルバイトをしたことがあった。
さて、小学6年生のR子ちゃんは、四谷大塚の進学教室に通っていて、毎週日曜の全国模試でも名前が載る優秀な女子小学生だった。
私の任務は、四谷大塚の模試を受けたあと、間違えたところの解説をしてほしいというものであった。
私は中学受験はしたことがなかったし、選ばれた子が集まる私立に進学することは、あまり賛成の立場ではなかった。
世の中には、いろいろと暮らし向きや境遇がさまざまの子がいて、公立学校には、世の中の縮図のように、人が集まっていることを肌で感じて、中学時代を過ごすことに大きな意義があると思っていたからだ。
しかし、R子ちゃんのお母さんと、先輩と私で面談し、お寿司をごちそうになって、週2日家庭教師として来ることに決まった。
中学受験をしなかったと書いたが、算数では、つるかめ算、植木算、旅人算など、応用問題は全く私は覚えていないし、第一、小学6年のとき、そういうのは解けなかった。
中学からは、x,yを使って方程式にすれば簡単に解けるものでも、小学校では、x,yは使わないので、R子ちゃんには、正直に話しておいた。
数学を交えて、解説するより方法はなかった。
四谷大塚の試験の解説のページを、「見させてもらっていい?」と聞いてから、ふむふむ、こう解くのか、と納得してから、R子ちゃんでもできなかった問題を解説して、類似問題を作って解答してもらった。
算数では、余談も入れて、数学も小出しに話した。
私「ある数が2で割れるかどうかは、偶数かどうかでわかるよね」
R子「はい」
私「では、ある数が3で割り切れるかどうか、瞬間で分かったらいいと思わない?」
R子「はい」
私「九九より大きな数だとすぐにわからないでしょ。割り算しないでは。」
R子「はい」
私「156が3で割り切れるか、割ってみて」
R子「割り切れます」
私「156の 1と5と6を足してみて」
R子「12です」
私「12は3で割り切れるよね。どんなに大きな数字でも数字を足し合わせて、3の倍数なら、
割り切れるのよ。
その12もさらに 1+2にして、3になる。それが3の倍数か見れば、割り切れる。
例えば、16,942は、足すと?」
R子「22」
私「さらに足すと?」
R子「4」
私「実際、割り算してみて?」
R子「割り切れません」
私「そうすれば、3で割り切れる数字かどうか、すぐわかるのよ。
自分で例題の数字を作って、やってみて。
今は、あまり役に立たない知識かもしれないけど、中学で数学をやれば
役に立つと思うよ」
いつも、四谷大塚の正答のページを読ませてもらってから、説明していた、力のない家庭教師のどこが気に入ったのか、R子ちゃんの希望で、週3回の家庭教師になった。
翌年の1月、R子ちゃんは、女子学院と、青山学院の中学校に合格した。
女子学院に進学を決めた。
R子ちゃんの入試問題を解説して、最終日、ケーキのホールをお礼にと頂いて、R子ちゃんの家を後にした。
今日も、夫の1日の食事記録表を掲載する。
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