1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えただけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 水子(中絶、流産)に限っては、親以外にその存在を知る者は誰1人も。親が心を向けねば、誰1人も供養を。せめて、親なりともわが子に。

2022-01-23 06:58:35 | 法話
昨日、わが寺では水御供養法要が。現在でも届出数だけでも、失われる胎児の命は年間に15万前後、その内、10代の中絶件数は1万前後と。戦後、母体の健康維持の為、中絶が合法化に。統計に残されてる数だけで、戦後70年間で4千万。実数はその2倍とも。男尊女卑の時代背景だったとはいえ、凄い数字だよね。

【追伸】
人間はそれぞれに事情がある。事情の塊が人間にて。その人(親となる人)のその事情に縁(産んでもらえない親との縁)があるもまた、その水子さんの寿命だとは思うが。今でも不定期に、中絶した赤子の供養を、と若いカップルがお寺へ。供養を望む理由は「祟られたくないから」が大半。対し拙僧「親を祟る子供などおらん。自分は産んでもらっておきながら、わが子の命は奪っておいて、事もあろうに今度は化け物扱いかい。失礼な。亡者を愚弄するのも大概にせい」と当事者達に。されど、15年前の事だが、中絶したカップルが供養後から毎月、お寺へ供養(懺悔)の為、参拝に。その2人の変わり様に両家の両親がお寺へ足を。それが縁でわが寺の檀家に。所謂『牛に引かれて善光寺』にて。今、そのカップルは、3人の子宝に恵まれ、安穏な家庭を築き上げている。さて、水子供養(特に中絶)は何故するのか、と言えば、勿論、供養の為だが、第一義は、2度と同じ過ちを起こさない為、自分のした事を忘れない為、にて。

投稿写真は、昨日の水子供養法要。