最近のテレビ、新聞などの社会面を見ていると、親と子についてどうなっているのだろうと思いますね。以前は継母が継子をいじめるってことはよくありましたが
今は、実の親子関係においても殺伐たる事件があふれています。
「きれる」と言う言葉も頻繁に使われ、切れ方が尋常でなく殺人へといたるのですから、どこに問題があるのだろうか。と考えてもみたくなりますよ。
この間読んだ曾野綾子さんの「晩年の美学を求めて」の本の中に
この頃余り使われなくなった言葉に「親孝行」があり、一つの鍵があるような気
がすると、「親孝行」な子どもは、幼い時から、どこかで耐えることをしつけられ
来た家庭に生まれる。物分りのいい、甘いしつけの家庭には親孝行な子どもは生
まれにくい。
親との生活の中で、親と苦労を分かち合う体験を持った子どもだけが、親を
大切にする。子どもだけには苦労させたくないと思う場合には、子どもがなぜ
か大人に育たない。
子どもは一定の齢になったら必ず親から自立し、おやの庇護を受けていた
立場と反対に親を庇護する自覚を持たねばならない。40代の壮年になれば
親の精神力を凌駕しなければならない。現代の多くの中年の子どもの異常な
未成熟が、世間を歪めている。と・・・・
巷の親子を見ていても、範を示さなければならない親が、自覚の無いこと
に時代だけでは済まされないことを感じます。
カルセオラリア(きんちゃく草)

今は、実の親子関係においても殺伐たる事件があふれています。
「きれる」と言う言葉も頻繁に使われ、切れ方が尋常でなく殺人へといたるのですから、どこに問題があるのだろうか。と考えてもみたくなりますよ。
この間読んだ曾野綾子さんの「晩年の美学を求めて」の本の中に
この頃余り使われなくなった言葉に「親孝行」があり、一つの鍵があるような気
がすると、「親孝行」な子どもは、幼い時から、どこかで耐えることをしつけられ
来た家庭に生まれる。物分りのいい、甘いしつけの家庭には親孝行な子どもは生
まれにくい。
親との生活の中で、親と苦労を分かち合う体験を持った子どもだけが、親を
大切にする。子どもだけには苦労させたくないと思う場合には、子どもがなぜ
か大人に育たない。
子どもは一定の齢になったら必ず親から自立し、おやの庇護を受けていた
立場と反対に親を庇護する自覚を持たねばならない。40代の壮年になれば
親の精神力を凌駕しなければならない。現代の多くの中年の子どもの異常な
未成熟が、世間を歪めている。と・・・・
巷の親子を見ていても、範を示さなければならない親が、自覚の無いこと
に時代だけでは済まされないことを感じます。
カルセオラリア(きんちゃく草)
