「朝(あした)には紅顔を拝し、夕べには白骨と・・・」と臨済宗妙心寺派の
導師による冒頭の読経で、従妹Aさんの葬儀がしめやかに、岐阜市セレモニー
ホールで行なわれました。(導師は国文学者で精神医学者でもあり、喪主の友人)
もう一方のお坊さん(真言宗)は喪主の郷里の四国から来られ、友人で大学
の後輩に当たるとか・・・・
12時葬儀開始と言うことで、Tさん一家と朝7時半に家を出ました。名古屋
まで高速で走り、岐阜市の会場へは10時半着、3時間で行くことが出来まし
た。
会場ではすでに喪主のご主人と二人の娘たちの出迎えを受け、控え室に
行く前に、式場内に安置された棺を拝顔させていただきました。
ご主人が岐阜大学医学部の助教授とあって大学側の参列者が多く座席を
埋められていました。58歳での夭折はあまりにも早いでした。ガンによる多臓
器不全で12日間の入院による死でした。
葬儀後控え室にて
葬儀後の喪主挨拶での言葉に
「 妻は功を挙げ名を成すとか言うことには見向きもせず、いつも弱い
者に目を向ける人であり、自分も弱さを持つ者として助けられた。学生
時代 妻は国文学を自分は医学をと専攻し、結婚に至った。二人の子ど
もたちには妻は何が正しいかはきちんと教えていた。しかしまだ未熟な
者で自分ひとりでは生きられない。これからもお力添いを・・・・・」
故人の良き一面を見たようで感動しました。
付け足しての言葉に「二人だけの一代家紋を作りました。ハマグリと蝶の
家紋で、ハマグリは大海の砂に蝶は蒼空を羽ばたく・・・・と」
ハマグリと蝶の一代家紋
葬儀の後初七日法要が親族で行なわれ、お花を埋めての納棺、火葬
場へ、小さな小さな骨壷に収骨しました。骨壷にも触れさせていただき、
帰路に着きました。
故人とはわたしは齢が離れていましたから、あまり付き合いはなかった
ですが、叔母夫婦が蒙古から戦後引き上げてきてから、生まれた始めての
女の子でした。高校生の頃は油絵も描いていたようでした。
学生時代にわたしの教員住宅に一人ふっと訪れ、2日程 泊まっていっ
たことがありました。学生運動に走っていた頃でしたから、何 か悩みでも
あったのでしょう。
しっかりした いい娘さん(大学院生と高校生)にも恵まれ、ご主人共々
これからが幸せな日がと言うときに天は無常でした。天界から見守って
やってください。 合掌