先日の中日新聞の地方版で鳥羽小学校が新しい土地に建築され、引越し
に保護者が関わったとのことでした。
鳥羽小学校はわたしが11年間も勤めた学校で、感慨ひとしおです。
思い出もいっぱい詰まっています。
鳥羽小学校は昭和4年に建築されていて、県下でも唯一鉄筋3階建ての
校舎でした。80年近く経ち老朽化がひどく10年余り前から建築問題は市の
方でも度々会議を持たれていました。
学校の所在地が城山と言う山の鳥羽城址にあり、高いところに建てられ
ています。運動場が山の頂上で多分お城があったとされています。
わずかに残る城壁
景観はすばらしく、鳥羽湾や離島が望めます。しかし運動場としては狭く
運動会などでも100M徒歩競争が直線で取れなく、斜めにラインを引いたの
でした。
鳥羽湾 錦浦と呼ばれ校歌に歌われている(波静かなる錦浦・・・)
歌人 伊良子清白氏の詩
建築問題もわたしの在籍した頃もあり、建築物が時代の価値があり、
壊すか、残すか、新しく建築するには場所をどこへ等、様々な意見があり
やっと今日に至ったのでしょう。
城址は旧鳥羽市内中央ですが、かなり離れた場所へ建築された
ようです。
わたしが勤めたのは、昭和46年からで鳥羽小創立100周年の記念行事
も盛大に行なわれました。また50年三重国体では、マーチングバンドで、
開会式に出場でした。(これは1年半にわたる猛特訓の思い出が・・・)
52年まで7年間でした。
その後、退職の前の4年間も鳥羽小学校でしたから、ことのほか思いが
あります。・・・・車で坂道を上がるが片道通行で、バックが怖かった・・・・
100周年記念に玄関前に児童の作品を入れて埋めたカプセル、(50年後
に開けるとして) どうなったのかなあ??
旧校舎がなくならないうちに一度見に行きたいものです。