昨日は午後からの大雨を予測してゴルフ寿会は早い目にキャンセル、降り
出したのは午後3時過ぎでしたから・・・・参加の人は良かったと・・・・
今日は昨夜の大雨も止み寒い一日風も強く雪雲に覆われました。地区の
グランドゴルフに参加しました。
今朝のドラマ「まっさん」、北海道にも空襲があり爆撃もされたようでした。
空爆があれば、 防空壕へ逃げなければならない時期でした。昭和20年と
言えば敗戦色も濃い頃でした。ドラマ「まっさん」でも熊虎さんの息子一馬君
(エマチャンの恋人で、まっさんがこれからウイスキー造りの片腕となるは
ずだった)の戦死の公報が入りました。熊さんの嘆きは身に沁みました。
ドラマだから帰ってくるだろうと期待しましたが・・・・・実際にはニッカウィスキー
創業者がモデルですから、事実だったのかもです。
太平洋戦争では多くが戦死ですから・・・・・我が家も2人の兄は白木の箱
での帰還でした。2柱の葬儀でした。白木の箱は兄嫁さんの胸と女学生だっ
た姉の胸に抱かれてでした。わたしは国民学校5年生でした。
当時はどの家庭も兄弟姉妹が多く2人の姉妹だけと言うのは私の家だけ
でした。兄達とは年令は異なっていましたが、頼りになる兄達の戦死は父母
には応えたことでした。背嚢を背負って帰ってくる人たちを見たくないと引
きこもっていた母を見ました。
戦没者230万人、その60%は餓死であったと、また原爆を含む爆撃など
による死者も80万人(一般人)と、みんな若い命を亡くしたのでした。
どのように戦死したのか明らかにはされていません。白木の箱には一片
の紙切れか、石ころぐらいでした。毎年遺骨集骨に戦跡地に行かれる方々
もありますが、70年と言う風雨にさらされて眠っているのでしょう。
「 哀れ、憤り、嘆き 悲しみ」の言葉だけが胸を突いて出るだけです。