桃井和馬 著。
本の題名を見ただけで、どんなに辛く悲しい内容なのかが容易に想像できます。
何故 私が今、敢えてそういう本を読んだのかというと
ある日、偶然見たテレビがきっかけでした。
BSで放映された 『旅のチカラ・アンデス 星と雪の巡礼』 という番組。
フォトジャーナリストの桃井氏が妻の死からなかなか立ち直れずに悶々としている中、
救いを求めて向かったアンデスで、巡礼者と共に旅する何日間かを描いたドキュメンタリー。
大変お恥ずかしい話ですが 私はこの番組を見るまで桃井和馬という人を知りませんでした。
今回番組を見てこの本の事を知り、すぐに購入したのは
〝愛する家族を突然亡くした″ という共通の儀が気になったからに他なりません。
もっと強調するなら「突然」というところ。
長い間、家族が病に苦しむのを見るのもそれはそれは辛いことだと思います。
その方がいいなんて少しも思っていません。
末期癌の実父を在宅で母と妹と三人で看取った経験があるのでそれはわかっているつもりです。
ただ・・ 〝覚悟″ という一点だけを取り上げたら
これはもう・・・・一言では言い表せない、それを経験した人にしかわからないものがあると思うのです。
多分私はそれをこの桃井氏と共有したかったんだと思います。
その時、どういう行動をとり、どうやって気持ちの舵取りをしていたのか。
第三者の目を通して、文章を通して 自分の感情の波を客観視したかった、っていうか・・・
桃井氏の奥さまは、仕事先でくも膜化出血で倒れ、41歳という若さで亡くなりました。
11歳、小学校6年生の一人娘を残して。
そこには 想像を絶する時間があったと思います。
泣きながら読むことになるだろうと予想していたのですが
その記述が余りにもリアルで 十分過ぎる表現力のために
涙より先に出たものは ただただ溜息でした。
「横隔膜が痙攣するような、吐き気さえ催す悲しさ」
「爆発的な悲しみの発作」
そう、まさにこれだよな、って・・・。
桃井氏と私の相違点は、彼は(奥さまもそれぞれのご両親も)キリスト教者だということ。
それは大きな違いだと思われます。
亡くなった奥さまのお母様の言葉にこういうのがありました。
「私は大丈夫です。娘は神さまから預かっただけだと信じていますから」
息子を失った私と、立場的には同じなのに 私はこんな風には到底思えない。
すごい世界だと思いました。
なんだか長々とまとまらなくなってしまいましたが
つまるところ・・・
世の中には辛い思いをしている人たちがごまんといて
それぞれの悲しみをちょっとずつ打ち崩しながら前に進んでいる。
そして、どんな人にも平等に時間は流れている、ってことでしょうか。
時間も平等ならば 死というものも必ず平等に訪れるものだけれど
私は、できれば家族を悲しませずにその時を迎えたい。
それが私の願いです。
突然の死別は 残されたものには
相当苦しいものだと思います。
私の姉も たった3日入院するだけで逝ってしまいました。
劇症肝炎でした。
ほんとに 覚悟の日にちが欲しかったです。
キリスト教って そんなに人の懐を深くしてくれる
宗教なのでしょうか。
うらやましく思います。
さっそくこの本を図書館で予約しました。
明日読んでみます。
いつも本の紹介をありがとう。
お姉様・・・そうだったんですか・・・
どんなに辛かったことでしょうね。
長く苦しむのも辛いけど
本当に 「突然」 というのも気持ちの持っていきようがないですよね・・
私は宗教のことはよくわかりませんが
難しいです・・
ジャーナリスト目線で書いてあるので
私たちとはまたちょっと違う表現かもしれませんが
肉親を亡くした辛さは同じ。
一般に夫を亡くした妻よりも
妻を亡くした夫の後の方が大変ていいますよね。
私はそんな目にパパを合わせたくない、って思いました。
楽しい本の紹介の方が やっぱりいいですね・・・