詩編30編には、ダビデ王はエホバ神が、生き続けさせてくださるゆえの感謝と、恵みの神エホバへの懇願が記されていました。エホバ神は忠節なご自分の僕を高めてくださるゆえに、「神(エホバ)の忠節な者たちよ、エホバに調べを奏でよ」、「感謝をささげよ」と勧められていました。私たちの命はエホバ神によって存在していますので、エホバ神に栄光と賛美を帰すことはふさわしいことなのです(啓示4:11)。今日紹介する詩編31編の前半には、「なんの価値もない、むなしい偶像に敬意を払うたちを憎む」ことが記されています。今日の様々な宗教や多くの方々の中に偶像礼拝が深く浸透しています。エホバ神は偶像礼拝は「肉の業」であり、「肉の業」を行なう者たちは神の王国を受け継がないことを明らかにしています(ガラテア5:19~21)。
詩編31編の前半には次のように記されています。皆様方はどのような宝を見いだされるでしょうか。
指揮者へ。ダビデの調べ。
「エホバよ、わたしはあなたのもとに避難しました。
わたしが決して恥をかくことがありませんように。
あなたの義のうちにわたしを逃れさせてください。
わたしに耳を傾けてください。
速やかにわたしを救い出してください。
わたしのために岩のとりでとなり、
わたしを救うとりでの家となってください。
あなたはわたしの大岩、
わたしのとりでだからです。
あなたはご自分のみ名のためにわたしを導き、
わたしを案内してくださいます。
あなたは彼らがわたしのために隠した網(罠)から
わたしを引き出してくださいます。
あなたはわたしの要塞だからです。
わたしはあなたのみ手にわたしの霊を託します。
真理の神エホバよ、あなたはわたしを
請け戻してくださいました。
わたしは、何の価値もない、むなしい偶像に
敬意を払う者たちを憎みます。
しかし私自身は、エホバに依り頼むのです。
わたしはあなたの愛ある親切に喜び、
歓び楽しみます。
あなたがわたしの苦悩をご覧になったからです。
あなたはわたしの魂の苦難を知って、
わたしの敵の手に引き渡されませんでした。
あなたはわたしの足を広々とした
場所に立たせてくださいました。
エホバよ、わたしに恵みを示してください。
わたしは窮境に陥っているからです。
煩いのためにわたしの目は弱くなりました。
わたしの魂も、わたしの腹もです。
わたしの命は悲嘆とともに終わりを迎え、
わたしの年は溜め息のうちに
終わりを迎えたからです。
わたしのとがのゆえに、
わたしの力はつまずき、
わたしの骨も弱くなりました。
わたしに敵意を示すすべての者から見て、
わたしはそしりとなりました。
隣人にとっては特にそうなり、
知人にとっては怖るべきものとなりました。
彼らは戸外でわたしを見ると、
わたしから逃げて行きました。
死んで心のない者のように、
わたしは忘れ去られました。
わたしは損なわれた器のようになりました」(詩編31:1~12)。
上記の聖句に示されている通り、エホバ神は偶像礼拝を否とし、憎まれることを明らかにしています。エホバ神は天にあるもの、地上にあるもの、地の下や水の中にあるものの、彫刻像や形を作り、それに身をかがめてはならない、と偶像礼拝を禁じていました(出エジプト記20:4,5)。聖書はエホバ神の被造物にではなく、命の与え主でありすべての創造主エホバ神に栄光と賛美を帰すように教えています(啓示4:11)。この明快な真理をご理解される方々は幸いです。あまり考えることなく偶像崇拝・礼拝を行なって来られた方々は、エホバ神のご意志を守り行うようにお勧め致します。
詩編31:9~12節には、ダビデ王が窮境に陥り、隣人や知人からも見捨てられたとき、エホバ神に恵みを示してくださるように率直に祈った言葉が記されています。明日紹介する詩編31編の後半には、ダビデは苦境の時に、エホバ神に依り信頼を置き、依り頼み、エホバの善良な救いの業を賛美しています。エホバ神はご自分の忠節な僕を忠節をもって保護してくださることを知るのは大きな慰めとなります(サムエル第二22:26)。
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里芋の 山と積まれし 道の駅 今日の一句
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庭植の「バラ」