詩編38編の前半には、エホバ神が否とされる事柄を行なった場合、「感覚を失い、極度に打ちひしがれる」苦悩を刈り取る結果になることを教えていました(詩編38:8)。ですから、人は何であれ撒いたものを刈り取る絶対の原則を、ダビデの経験を通して教えています(ガラテア6:7)。ですから、聖書は公正を行い、親切を愛し、慎みをもってあなたの神エホバと共の歩むように促しています(ミカ6:8)。「悪いことから遠ざかり、善いことを行なえ」と、ダビデも書き記していました(詩編37:27)。今日紹介する詩編38編12節~22節には、ダビデの魂(命)を狙う者は1日じゅう欺まんをつぶやくことが記されています(詩編38:12)。邪悪な者は、一時的ではなく、悪を考え続けることを教えています。それは背後に偽りの父悪魔サタンがいるからです(ヨハネ8:44)。私たちは神エホバからの完全にそろった霊的な武具が必要なのです(エフェソス6:11)。
詩編38編12節~22節には次のように記されています。
「しかし、わたしの魂(命)を求める者たちは
わなを仕掛け、
わたしに災いをもたらそうとする者たちは
逆境について語りました。
彼らは一日じゅう欺まんを
つぶやきつづけます。
しかしわたしは、耳の聞こえないような者のように
聞こうとせず、
物の言えない者のように
口を開こうとはしませんでした。
そして、わたしは聞いていない者のようになり、
わたしの口に反論はありませんでした。
それは、エホバよ、わたしがあなたを
待ち望んだからです。
わたしの神エホバよ、あなたご自身が
答えてくださったのです。
わたしはこう言ったからです。「さもなければ、
彼らはわたしのことで歓ぶだろう。
わたしの足がよろめき行くなら、
彼らは必ずわたしに向かって
威張るだろう」。
わたしはびっこを引きそうになり、
わたしの痛みは絶えず
わたしの前にあったからです。
わたしは自分のとがを言い表し、
自分の罪について思い煩うようになったからです。
そして、生きているわたしの
敵は力強くなり、
何の根拠もなく
わたしを憎む者は多くなりました。
彼らは善に対して悪をもってわたしに報い、
わたしが善いことを追い求めることに対し、
わたしに抵抗して応じました。
エホバよ、わたしを捨てないでください。
わたしの神よ、わたしから
遠く離れないでください。
急いでわたしを助けに来てください。
わたしの救いであるエホバよ」(詩編38:12~22)。
上の聖句に示されている通り、邪悪な者の欺まんに対して、ダビデは「聞いていない者のようになり」、口論をすることはありませんでした。それは、常にエホバ神を信頼し、すべてをエホバ神に委ね、エホバ神を待ち望んだからです(詩編38:12~15)。ダビデはエホバ神を避難所とし、信仰に堅く立ち続けました。
邪悪な者たちとは異なり、ダビデはエホバのまえに「自分のとがを言い表し」、悔い改めをしています(詩編38:18)。邪悪な者は「善に対し悪をもって報い」ましたが、いつもダビデはエホバ神に、「わたしの神よ」、と親しく呼びかけ、エホバ神に近づき「わたしから遠く離れないでください」と懇願しています(ヤコブ4:8)。ダビデ王は謙遜な特質を明らかにしています(詩編38:20,21)。ですから、ダビデ王は「わたしの救いであるエホバよ」よ(詩編38:22)、と、確信を込めてエホバ神に祈ることが出来たのです。私たちもダビデの精神態度に見倣うことが出来ます。
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