詩編33編の前半には、神エホバに音楽を奏でて感謝を表し、賛美を歌うことが記されていました。それは、エホバ神は「義と公正を愛される方」であり、「地はエホバの愛ある親切に満ちている」からでした(詩編33:5)。今日紹介する詩編33編の後半には、「エホバをその神とする国民は幸い」なこと、「エホバの目はご自分を恐れる者たち」に向かられることが記されています。それゆえ、ダビデ王はエホバ神に全き信仰を働かせ、「心は神にあって歓び」、「エホバよ、あなたの愛ある親切がわたしたちの上にありますように」と、祈ることが出来ました(詩編33:21,22)。詩編は私たちが神エホバと個人的な親しい関係を築き上げる点で、力を及ぼし、私たちを強めるものとなります(へブラィ4:12)。
詩編33編12節~22節には、次のように記されています。
「エホバをその神とする国民、
神がその相続分として選ばれた民は幸いだ。
エホバは天から見、
すべての人の子らをご覧になった。
ご自分の定まった場所から、
地に住むすべての者を見つめられた。
神は彼らの心をみな一緒に形造り
そのすべての業を考え計っておられる。
軍勢が多いことによって救われる王はいない。
力ある者も力が大いなることによって
救い出されるのではない。
馬(軍備力)は救いのために欺まんであり、
その活力が大いなることによって
逃れ道を備えるのではない。
見よ、エホバの目はご自分を恐れる者たちに、
その愛ある親切を待ち望む者たちに
向けられている。
彼らの魂(命)を死から救い出し、
飢きんのときに彼らを
生き続けさせるためである。
わたしの魂はエホバを待ち望んだ。
神はわたしの助け主、
わたしたちの盾である。
わたしたちの心は神にあって歓び、
わたしたちはその聖なるみ名に
信頼を置いたからだ。
エホバよ、あなたの愛ある親切が
わたしたちの上にありますように。
わたしたちがあなたを待ち望んだように」(詩編33:12~22)。
上の聖句に示されている通り、「エホバをその神とする国民は幸いだ」と記されています(詩編33:12)。それは、エホバ神が天から、その定まった場所から、ご自分の民を見守り、そのすべての業を考え計っておられるからです(詩編33:13~15)。また、軍勢の多いことや、馬、つまり軍備力が王を救い救い出すのではなく、むしろ「欺まんである」と述べられています(詩編33:16,17)。大切なことは、「エホバの目はご自分を恐れる者たちに、その愛ある親切を待ち望む者たちに向けられている」ゆえに、エホバ神の救いを待ち望む、全き信仰に立つことです(詩編33:18,19)。ダビデ王はそのような全き信仰に立ち、エホバは「わたしの助け主、わたしの盾」と言うことが出来ました(詩編33:20)。ダビデはエホバと共に歩み、歓び、エホバというその聖なるみ名に信頼を置き、「エホバよ、あなたの愛ある親切がわたしの上にありますように」と、全き信仰に立ち、祈ることが出来ました。私たちもダビデ王の精神態度に見倣うことが出来ます。
鶏頭の 花の並びし 道の駅 今日の一句
庭に咲いている「ミニバラ」