神エホバは、イザヤを通してご自分の民が、霊的パラダイス・清い崇拝を推し進めるようになることを予告しました(イザヤ35:6後半、7)。
とはいえ、バビロンへの流刑の身のユダヤ人がそうした物質的また霊的なパラダイスの状態を楽しむには、まずバビロンからエルサレムまでの長くて危険な旅をしなければなりませんでした。直線コースを取れば、約800キロの及ぶ乾き切った荒れ地を横断しなければなりません。それより楽なコースを取れば、1,600キロもの旅をしなければなりませんでした。いずれにしても、厳しい自然条件にさらされ、野獣や獣のような人間に出くわす危険を冒しながら、何か月も旅をすることになります。それでも、イザヤの預言の言葉に信仰を働かす人々は、過渡に心配をすることはありません。なぜでしょうか。
神エホバは、イザヤを通して次のように約束されました。
「そこには街道ができる。「神聖な道」と呼ばれる道である。汚れた人がその道を通ることはない。それはその道を歩く人のためのものであり、愚かな人が入ってくることはない。そこにライオンはおらず、どう猛な野獣が来ることはない。そのようなものはいないのである。救い出された人たちだけがそこを歩く」(イザヤ35:8,9)。
神エホバはご自分の民を約束通り取り戻されました!その民は神エホバによって「助け出された者たち」であり、神エホバはエルサレムへの道中の安全を保証されました。バビロンからエルサレムまで、盛り土をして安全な柵を設けた、文字通りの舗装道路があるのでしょうか。そうではありません。しかし、長旅をするご自分の民を神エホバが確かに保護されるので、民はあたかもそうした安全な街道を旅しているかのようです(詩編91:1~16)。
神エホバの民は、霊的な危険からも保護されます。比喩的な街道は「神聖な道」です。神聖な物事に対して不敬な態度を取る人や霊的に汚れた人には、その道を旅する資格がありません。回復された地において、そのような人は必要ありません。神エホバに是認された人たちは、正しい動機を抱いています。国家主義的な誇りの精神を抱いて、あるいは個人的な利益を求めてユダとエルサレムに帰ろうとしているのではありません。霊的な思いを持つユダヤ人は、故国への帰還の主な理由は、その地に神エホバの清い崇拝を再確立することである、という点をよく理解しているのです(エズラ1:1~3)。神エホバは、ご自分の民の物質面および、霊的な面の保護を必ずして保証をして下さるのです。
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秋晴れや 猫すり寄り来 奉仕かな 今日の一句

庭に咲いている「シオン菊」