地上に遣わされていたイエス・キリストは「りっぱな羊飼い」と呼ばれていたことをご存じの方々は幸いです。現在指導的な立場にある人たちも、イエスの教え方と謙遜な態度に見倣ってくだされば嬉しく存じます。
イエスは羊の囲いの戸口番が、イエスの弟子たちが天から聖霊を注がれると、新しい羊の囲いに入れることを、許すことを話されました。
イエスはご自分の役割をさらに説明し、次のように話されました。「私は戸口です。誰でも私を通って入る者は救われ、その人は出入りして牧草地を見つけるのです。・・・私は彼らが命を得、しかも満ち溢れるほど豊かに得るために来ました。・・・私(イエス)はりっぱな羊飼いであり、自分の羊を知り、私の羊も私を知っています。ちょうど父(エホバ神)が私を知っておられ、私が父(エホバ神)を知っているのと同じです。そして私は羊のために自分の魂(命)を投げ打ちます」。
イエスはその少し前に、「恐れることはありません、小さな群れよ。あなた方の父(エホバ神)は、あなた方に(神の)王国を与えることをよしとされたからです」と、述べて、ご自分の追随者たちを慰められました。遂には油注がれたクリスチャンの14万4,000人という数になるこの小さな群れは、この新しい2番目の羊の囲いに入ります。しかし、イエスはさらに次のように話されました。「私にはほかの羊いますが、これらはこの囲いの者ではありません。それら(ほかの羊)も私は連れて来なければならず、彼らは私の声を聴き、一つの群れ、1人の羊飼いとなります」。
「ほかの羊」は「この囲いの者ではない」ので、彼らは別の囲い、つまり3番目の囲いの者に違いありません。これら後の二つの囲い、つまり羊の囲いの定めは異なっています。一つの囲いの中の「小さな群れ」は天で神の王国政府の王イエスと共に共同支配し、もう一つの囲いの中の「ほかの羊」は回復される地上の楽園で暮らします。しかし、二つの囲いの中にいても、イエスが教えられた通りに、羊は「一人の羊飼い」のもとで「一つの群れとなる」のです。
りっぱな羊飼いであるイエス・キリストは、両方の囲いの羊(真のクリスチャンたち)のために進んでご自分の命をお与えになります。イエスは、「私はそれ(命)を投げ打つのです。私はそれを投げ打つ権限があり、またそれ(命)を再び受ける権限があります。このことに関するおきてを私は自分の父(エホバ神)から受けました」と、説明されました。イエスがそのように説明されると、ユダヤ人の間に分裂が生じました。
群衆の中には、「彼(イエス)は悪霊につかれ、気が狂っている。どうして彼の言うことを聴くのか」と、言う人が大勢いますが、「これは悪霊に取りつかれた人の言うことではない」と、正しく答える人もいました。それから群衆は、2ヶ月前にイエスが、生まれつき目の見えない人を治されたことを指しているのでしょう、「悪霊が盲人たちの目を開けることなどできないではないか」と、言い添えました。(ヨハネ10:1~22;9:1~7.ルカ12:32.啓示14:1,3;21:3,4.詩編37:29)。
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紅まどか まろやかな味 楽しみぬ 今日の一句
道の駅の珍しい柑橘「紅まどか」
ー 直径20cmくらいあり、大きいのは
1個400円、少し小さいのは
1個300円で売られていました ー