イエスはユダヤ人たちに、イエスに信仰を働かさないユダヤ人は、泣き悲しんだり、歯ぎしりする時が来るが、世界中から来る人々が「神の王国の食卓について横になる」ことを説明されました。
イエスは続けて次のように言われました。「最後(虐げられているユダヤ人とさげすまれている非ユダヤ人)であったのに、最初になる者がおり、また最初(物質的、宗教的に恵まれているユダヤ人)であったのに、最後になる者がいるのです」。最後になる、という意味は、そうした無精で、感謝を表さない人々が神の王国に入ることは決してない、という意味でイエスは話されたのです。
ところが今、パリサイ人たちがイエスのもとにやって来て、「出て行ってここ(エルサレム)から去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしているからです」と、言いました。このうわさは、自分の領地からイエスを逃げ去らせるため、ヘロデ自身が流したのかも知れません。ヘロデはバプテスマを施す人ヨハネの殺害に関わりを持ったように、神エホバの別の預言者の死にも関わりを持つことになるのを恐れていたのかも知れません。しかし、イエスはパリサイ人たちに次のように言われました。「行って、あのきつねに言いなさい。「見よ、私は今日と明日は悪霊たちを追い出し、癒しを成し遂げています。そして三日目には終わるでしょう」と」。
イエスはそこでの業を終えると、エルサレムへの旅をお続けになりました。なぜなら、イエスが説明しておられる通り、「預言者がエルサレムの外で滅ぼされることは許されない」からです。後にイエスがエルサレムで殺害されることが予想されるのはなぜでしょうか。なぜなら、エルサレムは、71人で構成されるサンヘドリンの高等法院の存在する首都であり、動物の犠牲がここで捧げられるからです。それで、「神の子(イエス)」がエルサレム以外の場所で殺されるのは許されないのです。
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石打にする者たちよ。 ー めんどりが ー かえりひなをその翼の下に集めるように、私(イエス)は幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。それなのに、あなた方はそれを望みませんでした。身よ、あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています」と、イエスは嘆き悲しまれました。ユダヤ人は神エホバの子イエスを退けたため、滅びに定められているのです。
エルサレムに向かって旅を続けられておられた時、イエスはパリサイ人たちのある支配者の家に招かれました。その日は安息日(安息日とは6日働き、7日目には労働を休む日で、現在の日曜日のこと)です。人々はイエスをじっと見守っていました。多分、腕と足に水がたまっていると思われる、水腫にかかっている人がいるからです。イエスは、居合せるパリサイ人や律法の専門家に向かって、「安息日に病気を治すことは許されていますか」と、お尋ねになりました。
居合せた人は誰も答えません。それでイエスは、その人を癒して去らせました。それからイエスは、「あなた方のうち、自分の息子や牛が井門に落ち込んだ場合、安息日だからと言って、これを直ぐに引き上げない人がいるでしょうか」と、お尋ねになりました。やはり誰も一言も答えませんでした(ルカ13:22~14:6.ヨハネ1:29)。
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庭に咲いている「山吹の花」