イエスが安息日(今の日曜日)に、水腫にかかっている人を癒すと、パリサイ人は、イエスが安息日に働いた、と言ってとがめました。それに対してイエスは、自分の息子が井戸に落ちたなら、安息日の日であっても直ぐに助けるのではないかと、分かりやすく神エホバのご意志を明らかにされました。
イエスはなだ、ある著名なパリサイ人の家におられ、水腫を患っていた男の人を癒したところでした。イエスは、招かれて来ている人たちが、食事の時に目立つ場所を選ぼうとする様子をご覧になり、謙遜さに関する一つの教訓を与えられました。
イエスは次のように説明されました。「誰かから婚宴に招かれたなら、最も目立つ場所に横たわってはなりません(当時は横になって食事を摂る習慣になっていました)。もしかすると、だれかあなたより主立った人がその時召されているかも知れず、その場合、あなたやその人を招いた人が来て、「この人にその場所を譲ってください」と言うでしょう。そうすると、あなたは恥ずかしい思いをしながら、そこを立って、最も低い場所に着くことになるでしょう」。
それでイエスは次のように忠告されました。「あなたが招かれた時には、行って、最も低い場所で横になり、あなたを招いた人が来て、「友よ、もっと高い方に進んでください」と、言うようにしなさい。そうするとあなたは、一緒にいるすべての客の前で誉れを受けることになるのです」。(余談ですが、私の両親は招かれた時は、下座に座るように、と教えられたので、社会人になって集まり合う時は、両親の教えを守りました)。結論としてイエスは、次のように教えられました。「誰でも自分を高める者は低くされ、自分を低くする者は高められるのです」。
次にイエスは、自分を招いたパリサイ人に向かって、神エホバの目に真に価値ある正さんのの儲け方を伝えました。「あなたが正さんや晩さんを設ける時には、友人や兄弟、また親族や富んだ人など呼んではなりません。恐らく彼らはいつもあなたを招き返して、それがあなたへの報いとなることでしょう。むしろ、あなたがごちそうを設ける時には、貧しい人、体の不自由な人、足なえの人、盲目の人などを招きなさい。そうすればあなたは幸いです。彼らはあなたに報いるものが何もないからです」。
そのように、恵まれていない人たちのために食事の席を設ける人は、それによって幸福な人生を送れます。なぜなら、イエスが自分を招いた人に説明された通り、「義人(正しいことを行い人)の復活の際に報いを受ける」からです。イエスがこの価値ある食事の時の招きについて述べられたので、その場にいた客の一人は、別の種類の食事について思い起こし、「神の王国でパンを食べる人は幸いです」と、言いました。しかし、全ての人がその素晴らしい見込みを正しく評価するわけではありません。イエスは続けて一つの例えを話し、そのことを示されました。
「ある人が盛大な晩さんを設けていました。そして大勢の人を招いたのです。そして彼は・・・自分の奴隷を遣わして、招いておいた人たちに、「おいでください。もう用意が出来ましたから」と、言わせました。ところが、彼らは皆一様に言い訳をして断り始めました。最初の者は彼に言いました、「私は畑を買ったので、出かけて行ってそれを見て来なければなりません。お願いします、お断りさせてください」。
さてこの話の続きはどうなるでしょうか、次回にお伝え致します。
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工房の 職員の笑み 桜咲く 今日の一句
裏庭に咲いている「杏子の花」