皆様方の中にも、愛する家族や友人やご自身が重い病気をご経験された方がいらっしゃるかも知れません。そのようなご経験をされた方は、特別に宗教をお持ちでない方も、「神様助けて下さい」、この辛い病気を治して下さい・・・」と、祈られた経験をお持ちではないでしょうか。私は小学3年生の頃や高校生になった時に病気をし、特に高校3年生の時の病気入院中の時、まったく聖書のことも知らない時でしたが、苦しく辛い気持ちから「神様助けてください・・・この辛い病気を治してください」と、繰り返し祈っていました。当時は、まだ、人は辛いことや苦しいことで、人の手で乗り越えがたい試練に直面した時、なぜ「神様助けてください!」と祈るのだろうか、ということについて理解できないでいました。なぜ、人は苦難に直面した時に自然に「神様助けてください!」と、祈るのかの理由は、40歳代半ばになって聖書を学び、その理由を理解しました。聖書は、私たち男性も女性もくすしく「神の像(かたち)」に創造されていることが分かり(詩編139:14,16.創世記1:26,27)、私たちのお父さんが神であるために、神様に助けを祈り求めていたのだ、ということを理解したのです。幼い時から聖書を学ばれた方は、日常生活や苦難の時も、常にお父さんエホバ神に依り頼み祈られるので、祈ることについて私のような思いの経験はなかったかも知れません。
私たち人間は、苦難・試練を経験しなくても、健康で、幸福に平安の内に人生を歩みたいと願うものです。皆様方は通常の生活の中で、誰に依り頼む生き方をされているでしょうか。ご自身でしょうか。ご両親に依り頼まれるでしょうか。あるいは上司でしょうか。同僚や友人でしょうか。あるいは政府に依り頼まれるでしょうか。聖書の伝道でお訪ねしますと、「現在社会はだれにも頼れないので、自分だけが頼り」と述べる方もいらっしゃいます。日常生活において皆様方はどのようになさっていらっしゃるでしょうか。聖書の箴言の書は、次のように導きを与えてくれています。
「我が子よ、わたし(エホバ神)の律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行うように。そうすれば、長い日々と命の年と平和があなたに加えられるからである。愛ある親切と真実があなたから離れることのないように、それをあなたののどに結べ。それをあなたの心の書き板に書き記して、神(エホバ)と地の人の恵みと良い洞察力を得よ。心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神(エホバ)を認めよ。そうすれば、神(エホバ)ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ、悪から遠ざかれ」(箴言3:1~7)。
上の箴言の書を熟読してくだされば、誰に依り頼まなければならないかが明確に示されています。「心をつくしてエホバに依り頼め」と明記されています。なぜそのように記されているのでしょうか。前述しました通り、エホバ神は私たちをくすしく「神の像(かたち)」に創造してくださったお父さんだからです。さらに、私たちが、苦難・試練に直面した時は勿論のこと、日常生活において心をつくしてエホバ神に「依り頼む」なら、エホバ神ご自身が私たちの歩む道筋を真っ直ぐにしてくださるからです。つまり、エホバ神が平安と義の満ちる人生にしてくださるのです(イザヤ48:17,18)。皆様方もお父さんエホバ神に依り頼む方であれば幸いです。
見上げれば 泰山木の 花見事 今日の一句
庭に咲いていた「ツツジ」
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