皆様方も、幼い頃からよく遊び、学び続け、実際的な知恵を身に着け、さまざまな場面で他の人に貢献されていらっしゃることと思います。人は男性も女性も「神の像(かたち)」に創造されていますので(創世記1:26,27)、知恵が備えられ、その知恵を働かせ、文化や科学技術を発展させてきました。知恵はその善用によって、人々の幸福と自分自身の幸福に寄与することが出来ます。
聖書は「実際的な知恵」の書としても知られ(箴言2:7)、その知恵を学び適用するなら、私たちは永続する快い道、平安の道、命の道を歩むことができます(箴言3:13~18)。
神エホバはみ言葉・聖書を通して、私たちが最善の生き方をすることができることを教えてくださっています。偉大な創造者エホバ神は、私たちの必要とするものを、私たち自身よりご存知です。それは、神エホバのお考えは、私たちよりはるかに高いからです(イザヤ55:9)。そして、愛を見いだしたい、幸福になりたい、人間関係において成功したい、良い仕事をしたい、といった欲求など、人間が基本的に必要とするものは、今も昔も変わりません。聖書には意義ある人生を送る「実際的な知恵」が豊富に記されています(箴言2:7)。今日は、聖書の賢明な助言、「実際的な知恵」をどのように適用できるか、少しのの事例を紹介致します。
あなたは、恨みを抱いたり、憤りを宿したりすると結局は自分を傷つける、ということをお気付きと思います。義憤ではなく、憤りは生きてゆく上で重荷になります。憤りをつのらせると、ほかに何も考えられなくなり、平安な気持ちは失われ、喜びも失い顔色は悪くなります。人相が悪くなるかも知れません。科学的な研究によれば、怒りを宿すと心臓病や他の数多くの慢性疾患の危険性が増大すると報告されています。そうした科学的な研究によって明らかにされるはるか昔から、聖書は賢明にも、「怒りをやめ、激怒を捨てよ」と、教えています(詩編37:8)。さらに、激発的な怒りは、神の王国を受け継がない「肉の業」として警告しています(ガラテア5:19~21)。では、私たちはどうすれば、怒りを宿さないようにできるでしょうか。
聖書は、次のように賢明な「実際的な知恵」の助言を与えています。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯を許すのはその人の美しさである」(箴言19:11)。洞察力とは、表れていないものを見る能力、明白になっていない事柄以上のものを見抜く能力のことです。洞察力は起きている事象の原因をしり、理解を育みます。他の人の言動の理由を識別する助けが得られます。人の動機、気持ち、境遇などを知ろうとするなら、その人に対する消極的な考えや気持ちを払い去ることができます。
さらに、聖書には、次の「実際的な知恵」の忠告もあります。「引き続き互いに忍び、互いに惜しみなく許し合いなさい」(コロサイ3:13)。「引き続き互いに忍ぶ」という表現には、他の人に対してじっと辛抱する、気に障る言動を目にしても、寛大であるという意味合いがあります。そうした寛容な態度を持つなら、不健康をもたらす恨みを抱くことは避けられます。「許す」という語は、憤りを捨てる、という考えを示唆しています。他の人を許すだけの十分の理由がある場合には、私たちがそのようにしなければならないことを、知恵の源の神エホバはご存知です。それは、他の人の益になるだけではなく、私たち自身の思いと心の平安のためでもあります(ルカ17:3)。聖書には、優れた「実際的な知恵」が収められていることが、お分かりになるのではないでしょうか。
神エホバは、人間に対する深い愛に動かされ、私たちが幸福に生きるための情報を伝達したいと考えられ、聖書を備えられました。聖書には数多くの神エホバご自身の知恵・実際的な知恵が記されています。その神エホバの「実際的な知恵」は「非常に信頼できる」ものです(詩編95:3)。私たちは、神エホバからの知恵と調和した生き方をし、その実際的な知恵を他の人に分かつ時、私たちは全知全能のエホバ神に引き寄せられるのではないでしょうか。知恵の源の神エホバに近づく方々は幸いです(ヤコブ4:8)。
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