神エホバから告げられたバビロンの裁きに関する「深刻な幻」を予言した、イザヤはどのような心境だったのでしょうか(イザヤ21:1,2)。イザヤは預言した内容から受けた心の影響を次のように書き記しています。
「そのため、私(イザヤ)は非常に苦しんでいる。出産する女性のように、けいれんに襲われた。苦痛のあまり何も聞こえず、動揺のあまり何も見えない。心がうろたえ、恐怖に身震いする。待ち焦がれていた夕暮れに震え上がる」(イザヤ21:3,4)。
イザヤは、静かに物思いにふけることのできる、気持ちの良いたそがれ時がすきなようです。しかし今、その日暮れは魅力的ではなく、かえって恐れと痛みとおののきしかもたらしません。イザヤは、分娩の際の女性のような苦痛とけいれんに襲われ、「動揺のあまり何も見えない」、「心がうろたえ、恐怖に身震いする」と、記しています。ある学者は、このイザヤの表現が「激しく、不規則な拍動」を指していることに注目し、この部分を「わたしの心臓は荒々しく鼓動する」と訳しています。なぜイザヤはそれほど苦悩するのでしょうか。このイザヤの感情表現には預言的な意味があるようです。なぜなら、西暦前539年10月5日から6日にかけての夜、バビロニア人はイザヤの記した苦悩、恐怖と同様な苦悩と恐怖を経験します。何がバビロンに生じるか、イザヤが予告した内容は次回にお伝え致します。
花菖蒲 介護車並び 通り行く 今日の一句
庭に咲いている「紫陽花」
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