城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

彼岸の中日 20.9.22

2020-09-22 19:34:50 | 地域のこと他
 今日は彼岸の中日だが、前日にお墓参りは済ませた。今日は、いつもの城台山散歩の帰りに父親の骨を分骨して納めた一心寺の一角にある納骨堂の重い扉を開いて合掌した。我が家の墓は家の近くの寺にあるが、ここも一心寺同様宗派は浄土宗で、我が家は浄土真宗大谷派(いわゆるお東)だからお墓だけの檀家(墓檀家と言っている)となる。普通お中日には一心寺が所蔵する地獄絵図が公開されるが、今年はコロナのこともあり公開は中止となり、そのせいか参る人も少ない。自宅にいても一心寺の鐘は聞こえるが、訪れる人が少ないため、普段の間断なく聞こえる鐘も聞こえてこない。

 住職はお彼岸には岐阜から通ってくるはずだが、来ていなかった

 実はこの地獄絵図、子どもの時に見た印象は強烈だった。母親に地獄に行かなくてもいいように懇願したことを覚えている。しかし、大人になって見る絵は当たり前の話だが、少し古ぼけて全く怖くなかった。仏教には「草木国土悉皆成仏」という言葉があり、人間、動物はもちろん草木や石に至るまで成仏できると説く。そして我が浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば悪人も成仏できると説く。そんなある意味「日本仏教」だから地獄といってもキリスト教のような厳しい来世(最後の審判により天国か地獄行きかが決まる)ではなく、あくまでも戒めのためのものだと「修験道という生き方」(自然信仰・修験道20.9.10で紹介)に書いてあった。

 これも祖先信仰の話を書いたが、人がなくなるとその魂は近くの山にとどまる。そして個別の霊から共同体集団の霊になっていく。このように考えると、お墓とは一体何なのだろうか。「千の風」の歌詞にもあるとおり、お墓にはなくなった人はいない。江戸時代を描いたドラマを見ていると、庶民が死んでもただ自然石など墓標が残るのみである。上流社会では古くから墓所が作られ、それが社会が全般的に豊になってくると庶民まで墓を作るようになったということなのか。山にとどまる霊に対してお祈りするのは相手があまりに漠然としていてかえって難しいので、墓石があればお参りするのも簡単なような気がする。そして今一つ気にかかるのは、墓は一般的に「◯◯家先祖代々」などと刻まれている(もちろん個人毎に建てられることもあるかもしれないが)。これだと嫁に来た女性などは死んでからも仕えなければならないかと思うかもしれない。アメリカやヨーロッパなどは墓は個人毎に作られるのか家毎に作られるのだろうか。

 我が家の墓はこの寺にある 後方の石垣は古い時代の遺構らしい

 前方の墓は比較的新しく分譲されたもの お寺の本堂の裏手には古い時代の墓石がある

 家を継ぐ者がいなくなるとお墓を管理する者がいなくなる。今役員をやっている財産管理委員会が所有する墓地にも参る人がいなくなった墓が散在する。本来なら墓じまいをし、設定されていた永代使用権を放棄してもらうのがルールであるが、費用も手間もかかるのでここまで行う人は多くないと思われる。人口が減少する社会では空き家とともに無縁墓がどんどん増えてくる。我が家の墓は少し急な階段を登ったところにあり、数年後にはここにお参りすらできなくなるかもしれない。そして、我が家は二つの寺の檀家となっている。男と女で法事や葬式の時に呼ぶお寺が違っている。どちらかのお寺の檀家を止めたいと思っているのだが、なかなか実行できない。

 今日はおじさんの母親の97歳の誕生日(このことが本人に理解できたかはわからない)だった。そして、一宮に住む叔母(95歳)が亡くなったとの知らせを先ほど受けた。

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