明日から10月、登山にも読書にも良い季節となった。そして、庭木の剪定を少しずつ行う予定である。新聞によると、今年ドングリは不作と書いてあったが、城台山では大きなドングリを見ることができる。不作だと熊が食料を求めて里まで下りてくる危険性が高まる?
話は変わるが、時々スマホでヤフーニュースを見ていて今という時代が大きく変わりつつあるような気がする。韓国、中国に比較的好意的な論調のレポートが出ると、コメント欄は嫌韓、嫌中で一杯となる。また、政府側を批判するレポート等にはやけに政府特に安部さんや菅さんの肩を持つコメントがつく。東京新聞の望月記者の菅さんに対する質問をめぐる政府側の対応については記者に対する厳しいコメント満載となる。こうなると政府を批判しようとする論者は、これらのコメントにさらされることを覚悟する必要があるので、発言を控えるようになってしまう。そうなると、政府は批判できない存在となってしまうのではないかと危惧の念を抱く。
ところでイザヤ・ベンダサンという名前を聞いたことがあるだろうか。1970年代始め頃、「日本人とユダヤ人」という本が出され、ベストセラーとなった。その著者が通称日本育ちのユダヤ人ということだった。当時こうした日本人論は結構盛んだったので余計に注目を集めた。その本には、「日本人は空気でものごとを決めてしまう」「日本人の宗教は日本教」そして特に有名になったのが「日本人は水と安全は無料だと思っている」という名言だった。このユダヤ人探しが行われ、この本の訳者でしかも発行元の山本書店店主である山本七平であることが明らかとなった。今回別の本を読んでいたら、その本でこの著者の書いた「日本人と中国人」(この本の著者はイザヤ・ベンダサン)が引用されていたことから、このあとその本、「日本人とユダヤ人」(以前によんでいるはずだが、記憶にない)、「下級将校の見た帝国陸軍」(再読)、東谷暁「山本七平の思想ー日本教と天皇制の70年」を読んだ。そして今「現人神の創作者たち」(上下)のうち、上を読み終えた。この最後の本は、江戸時代の儒者及び中国の儒者等の引用が半分程度あり、その引用にいちいち解説が付されているわけではないので、おじさんにとってかなり難しい。わからないところは飛ばし読みをして、やっと半分を読んだ次第だ。
七平は、1921年に生まれた戦前派で1991年に亡くなっているが、東谷の本によると、七平の著作や言動は古びること無く、日本人の性格や日本の社会の本質をあぶり出す鋭利な評論を親しみやすい表現(おじさんには親しみやすくないが・・・)で展開した。彼は、生まれた時にはすでに教会のなかにいたという環境の中で育ち、その親戚に大逆事件に連座し、処刑された人物が親戚にあった。こうした境遇が彼をアウトサイダーとして、あるいは日本文化と外国文化との境に立つマージナルマンとして生きてきた。そして、学徒出陣により、フィリピンに送られ、絶望的な戦況の中で生き残り、捕虜となったこの経験はさらに日本とは日本人とはという疑問を深める経験となった。日本人が絶えず口にする「人間」「人間的」「人間味あふれる」といった人間という言葉を基準にした一つの律法があるはずで、日本人とはこの宗教を奉ずる一宗団。この宗団の名は「日本教」で、人間学はあるが、神学はない一つの宗教である(以上「日本人とユダヤ人」から)。
コムラサキ ムラサキシキブ属 名前が素晴らしい
おじさんは日本が中国を相手に戦争をしたわけだが、この理由がいまだによくわからない。満州国の承認、排日停止等々、既得権益を守るため、まず華北に侵攻し、しまいには中国全土に戦域を広め、さらに仏領インドシナに侵攻し、さらにはアメリカ、イギリス等相手に戦争を始めてしまったのだが、その初めの日支事変の意味がわからない。満州なら資源はあったが、中国には人は多いが資源は少ない。そして、中国と和平する機会は何度もあったが、これができなかった。このことを「日本人と中国人」は次のように説明する。すなわち、日本人には「交渉」という概念がなく。中国に対しては常に条件をつけて、イエスかノーかを迫る、ひとたび押し切ると次々と条件を加重してくる。条約よりも国民感情が優先される(今の韓国みたいといったら言い過ぎか。おじさんは嫌韓でないが、さすがに最近はこれを維持するのが難しくなった。)。
中国が日本を処理する場合、最後に使う手は、アメリカであり、これは蒋介石でも周恩来でも同じである。日本人はゴボウ剣(昔タンスの奥にこの剣があった。銃に着ける剣。)をぶら下げて勝手に中国に居座り、押せども突けども、梃子でも動かない。その理由がわからない、そろばん勘定?論理?。業を煮やした蒋介石がアメリカに手を伸ばして背後から日本人の襟髪をちょっとひっぱってもらった。東条、浪速節宰相たちまち血相を変え、「中国からの撤兵だけは絶対に応じられない」とのたもうた。これが真珠湾につながり、日本人を狂喜させた。戦後の日本は戦前の裏返しで、中国に対して顔を向けようとしない。業を煮やした蒋介石のかつての同僚周恩来がニクソンを北京に呼び、結果として日本の背中を押してもらった(本当だろうか。もし、そうだとしたら、中国恐るべしとなり、日本人などとても対抗できないと思ってしまう。)。
確かに戦前の軍は一体何を考えているのかわからないところがある。このあたりのところは、次回に回したい。中国の明が滅び、自分たちが北狄と呼んでいた遊牧民族が清を作った。この時、李氏朝鮮はわれこそ「小中華」だと名乗り出た。このあたりまでは知っていたが、この時に日本も「本当の中国」だと主張した儒者がいたことを知らなかった。この辺のことも次回で書くことができたら(できるかな?)と思っている。
話は変わるが、時々スマホでヤフーニュースを見ていて今という時代が大きく変わりつつあるような気がする。韓国、中国に比較的好意的な論調のレポートが出ると、コメント欄は嫌韓、嫌中で一杯となる。また、政府側を批判するレポート等にはやけに政府特に安部さんや菅さんの肩を持つコメントがつく。東京新聞の望月記者の菅さんに対する質問をめぐる政府側の対応については記者に対する厳しいコメント満載となる。こうなると政府を批判しようとする論者は、これらのコメントにさらされることを覚悟する必要があるので、発言を控えるようになってしまう。そうなると、政府は批判できない存在となってしまうのではないかと危惧の念を抱く。
ところでイザヤ・ベンダサンという名前を聞いたことがあるだろうか。1970年代始め頃、「日本人とユダヤ人」という本が出され、ベストセラーとなった。その著者が通称日本育ちのユダヤ人ということだった。当時こうした日本人論は結構盛んだったので余計に注目を集めた。その本には、「日本人は空気でものごとを決めてしまう」「日本人の宗教は日本教」そして特に有名になったのが「日本人は水と安全は無料だと思っている」という名言だった。このユダヤ人探しが行われ、この本の訳者でしかも発行元の山本書店店主である山本七平であることが明らかとなった。今回別の本を読んでいたら、その本でこの著者の書いた「日本人と中国人」(この本の著者はイザヤ・ベンダサン)が引用されていたことから、このあとその本、「日本人とユダヤ人」(以前によんでいるはずだが、記憶にない)、「下級将校の見た帝国陸軍」(再読)、東谷暁「山本七平の思想ー日本教と天皇制の70年」を読んだ。そして今「現人神の創作者たち」(上下)のうち、上を読み終えた。この最後の本は、江戸時代の儒者及び中国の儒者等の引用が半分程度あり、その引用にいちいち解説が付されているわけではないので、おじさんにとってかなり難しい。わからないところは飛ばし読みをして、やっと半分を読んだ次第だ。
七平は、1921年に生まれた戦前派で1991年に亡くなっているが、東谷の本によると、七平の著作や言動は古びること無く、日本人の性格や日本の社会の本質をあぶり出す鋭利な評論を親しみやすい表現(おじさんには親しみやすくないが・・・)で展開した。彼は、生まれた時にはすでに教会のなかにいたという環境の中で育ち、その親戚に大逆事件に連座し、処刑された人物が親戚にあった。こうした境遇が彼をアウトサイダーとして、あるいは日本文化と外国文化との境に立つマージナルマンとして生きてきた。そして、学徒出陣により、フィリピンに送られ、絶望的な戦況の中で生き残り、捕虜となったこの経験はさらに日本とは日本人とはという疑問を深める経験となった。日本人が絶えず口にする「人間」「人間的」「人間味あふれる」といった人間という言葉を基準にした一つの律法があるはずで、日本人とはこの宗教を奉ずる一宗団。この宗団の名は「日本教」で、人間学はあるが、神学はない一つの宗教である(以上「日本人とユダヤ人」から)。
コムラサキ ムラサキシキブ属 名前が素晴らしい
おじさんは日本が中国を相手に戦争をしたわけだが、この理由がいまだによくわからない。満州国の承認、排日停止等々、既得権益を守るため、まず華北に侵攻し、しまいには中国全土に戦域を広め、さらに仏領インドシナに侵攻し、さらにはアメリカ、イギリス等相手に戦争を始めてしまったのだが、その初めの日支事変の意味がわからない。満州なら資源はあったが、中国には人は多いが資源は少ない。そして、中国と和平する機会は何度もあったが、これができなかった。このことを「日本人と中国人」は次のように説明する。すなわち、日本人には「交渉」という概念がなく。中国に対しては常に条件をつけて、イエスかノーかを迫る、ひとたび押し切ると次々と条件を加重してくる。条約よりも国民感情が優先される(今の韓国みたいといったら言い過ぎか。おじさんは嫌韓でないが、さすがに最近はこれを維持するのが難しくなった。)。
中国が日本を処理する場合、最後に使う手は、アメリカであり、これは蒋介石でも周恩来でも同じである。日本人はゴボウ剣(昔タンスの奥にこの剣があった。銃に着ける剣。)をぶら下げて勝手に中国に居座り、押せども突けども、梃子でも動かない。その理由がわからない、そろばん勘定?論理?。業を煮やした蒋介石がアメリカに手を伸ばして背後から日本人の襟髪をちょっとひっぱってもらった。東条、浪速節宰相たちまち血相を変え、「中国からの撤兵だけは絶対に応じられない」とのたもうた。これが真珠湾につながり、日本人を狂喜させた。戦後の日本は戦前の裏返しで、中国に対して顔を向けようとしない。業を煮やした蒋介石のかつての同僚周恩来がニクソンを北京に呼び、結果として日本の背中を押してもらった(本当だろうか。もし、そうだとしたら、中国恐るべしとなり、日本人などとても対抗できないと思ってしまう。)。
確かに戦前の軍は一体何を考えているのかわからないところがある。このあたりのところは、次回に回したい。中国の明が滅び、自分たちが北狄と呼んでいた遊牧民族が清を作った。この時、李氏朝鮮はわれこそ「小中華」だと名乗り出た。このあたりまでは知っていたが、この時に日本も「本当の中国」だと主張した儒者がいたことを知らなかった。この辺のことも次回で書くことができたら(できるかな?)と思っている。