醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   78号   聖海

2015-02-01 11:54:27 | 随筆・小説

   俳諧師芭蕉は歌仙を巻く   五月雨をあつめて早し最上川  

句郎 芭蕉たちは俳諧師の営業である歌仙を大石田で巻いた。
華女 歌仙を巻くとはどんなことをするの。
句郎 和歌に優れた人を歌仙といった。平安時代に藤原公任(ふじわらのきんとう)が奈良時代からの歌人36人を選び「36人歌合」を編んだ。それ以来36人の優れた歌人を36歌仙というようになったそうだ。これにちなんで36句の連歌形式を俳諧の歌仙というようになった。
華女 歌仙を編む宗匠さんが俳諧師ということなのね。
句郎 歌仙とは36句で一巻とする。このことを歌仙を巻くという。
華女 芭蕉たちは大石田でどんな歌仙を巻いたの。
句郎 大石田は最上川水運のターミナルだったようだ。芭蕉と曾良は大石田の船宿経営者、高野平右衛門亭に招かれ、俳諧を楽しんだ。発句をまず芭蕉が詠んだ。今日はお招きいただき有難うございましたと、挨拶の句を詠んだ。「五月雨を集て涼し最上川」。歌仙を巻いた日は現在の暦でいうと七月十五日。曾良旅日記によると「夜にいり小雨す」とあるからむしむしと暑い日だったことが想像されるんだ。この屋敷は本当に最上川の川風が入り涼しゅうございますねと、高野平右衛門亭に招かれ座敷に座り、川風の涼しさを芭蕉は詠んだ。
華女 俳句の挨拶句とは何だか、分からなかったけれど、本当に挨拶の気持ちを詠んだ句のことを言うのね。
句郎 そのようだよ。曾良の俳諧書留に大石田で巻いた歌仙が載っている。高野平右衛門の俳号を一栄といった。一栄は芭蕉の五七五の発句に七七の脇句をつけた。「岸にほたる(を)つなぐ舟杭」。夜になると最上川の岸にはほたるが灯ります。その船杭がほたるをつないでいるかのように集まってくるんです。
華女 詠まれている世界が移り変化していくのね。
句郎 それが俳諧というものらしい。
華女 一栄さんの後は誰が詠んでいるの。
句郎 曾良なんだ。第三句は「瓜畑いざよう空に影待て」と五七五と長句を詠んだ。
華女 瓜畑の空に蛍の影が出て来るのを待っているという句なのかしら。こうして36句も詠んでいくのは時間がかかったでしょうね。
句郎 そうかもしれない。曾良旅日記によると一巡して一日目が終わったと書いている。
華女 何日かけて歌仙を巻いたの。
句郎 二日で巻いたようだよ。その間、食事もしただろうし、お酒も嗜んだと思うね。
華女 俳諧とはまさにお金持ちのお遊びだったのね。
句郎 そうだよ。遊びだよ。遊びに亭主が満足すれば楽しゅうございましたと祝儀が貰えたんじゃないかなと思う。招かれた亭主の意を損ねるようなことをしては遊びにならない。また遊びのお礼どころじゃなくなるからね。
華女 俳諧師とは一種の男芸者のような者だったのかしらね。
句郎 もしかしたら、そえかもね。芭蕉の発句に戻って考えてみたいんだ。「五月雨を集て涼し最上川」。この発句には季語が二つあるよね。
華女 「五月雨」と「涼し」かしら。
句郎 発句に季語が二つ入っていても特に問題はないと思うんだけれども、何かもたつきのようなものを感じない。確かに挨拶句として良いと思うけれど。
華女 そうね。だから「おくのほそ道」には「五月雨をあつめて早し最上川」としたのかしら。
句郎 そうだと思う。仲間内の座の発句としては「五月雨を集て涼し最上川」と挨拶感がある句が良いが晴れ着を着た世界では挨拶感を払い落とし「五月雨をあつめて早し最上川」の方が良いと芭蕉は自分自身で判断し、「涼し」を「早し」に推敲し直したのではないかと思う。
華女 独立した句としては断然「五月雨をあつめて早し最上川」の方が良いと思うわ。
句郎 僕もそう思う。