醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   84号   聖海

2015-02-07 10:40:08 | 随筆・小説


 「雲の峰幾つ崩れて月の山」 この句は「雲の峰」、それとも「月の山」どちらを詠んでいるの

句郎 この句の季語は「雲の峰」だよね。
華女 そうなんじゃないかしらね。
句郎 俳句は季語を詠むと聞いたから、この句は「雲の峰」を詠んでいるのかな。
華女 「おくのほそ道」途上、出羽三山を芭蕉が詠んだ句の一つなのでしょう。だから「雲の峰」じゃ、おかしいんじゃないの。
句郎 そうだよね。「月の山」すなわち月山を詠んだ句でなくちゃならないよね。
華女 季語「雲の峰」は入道雲のことよね。
句郎 太陽の光に白く輝く山の峰のような雲の事だよね。
華女 「しづかさや湖水の底の雲の峰」一茶の句があるわ。分かるわよね。
句郎 「閑(しづか)さや岩にしみいる蝉の声」芭蕉の静かさとは違うね。
華女 そうね。一茶の句には親しみが持てるような気がするわ。湖水に写った雲の峰が見えるわよね。
句郎 そうだね。芭蕉は季語「雲の峰」を用いて「月の山」月山を詠んだ。
華女 芭蕉のこの句は読んですぐ伝わってくるような句ではないわね。
句郎 確かに。
華女 句郎君はこの句をどのように読むのかしら。
句郎 「雲の峰幾つ崩れて」だから芭蕉は月山を登っている。入道雲が出ては見えなくなり、まだ入道雲が出てはなくなる。こんなことを何回か繰り返しているうちに登頂した。雲海を真下に見ると月山が霊峰になって見えてくる。
華女 月山は確かに羽黒山や湯殿山に比べて遥かに高い山よね。だから神が住む雲より高い山を詠んだということなのかしら。
句郎 「日月行道の雲関に入るかあやしまれ」と「おくのほそ道」に芭蕉は書いているから太陽と月が昇っては沈む天空の関所を通って霊峰に至ったと月山登山は同時に霊的体験だったと実感した。この霊的体験を芭蕉は詠んだのかなと考えたんだけれどもね。
華女 芭蕉には何か、禅的世界のようなものを詠む傾向みたいなものがあるわね。月山を「月の山」と表現しているのには理由があるのかしら。
句郎 月山命名の由来は頂上に月読命(ツクヨミ)が祀られているかららしい。月を読むとは満ち欠けを見る。記録する。日月を決める。麓の農民にとって月山に輝く月を見ることは今日がいつかを知ることであった。稲作作業の何をすべきかを教えてくれる山が月の山だった。麓の農民にとって月山は月の山だった。
華女 月山を芭蕉が「月の山」と表現した理由が句郎君の説明では分からないわ。言葉は多いけれども。
句郎 「息絶身こごえて頂上に臻(いた)れば、日没して月顕(あらわ)る」と芭蕉は「おくのほそ道」に書いているから月山の頂上には月光が神々しく照っていた。月光の輝く山だったことを言うために「月の山」と表現したんじゃないかな。
華女 私はまた土地の人々が月山のことを「月の山」と云っていたから芭蕉も土地の人々のいいようを真似たのかなと句郎君の話を聞いて最初は思ったんだけれど。
句郎 「月の山」とは月山のことだから、そのような理解でもいいのかもしれないけれど、芭蕉が詠んだ世界は霊的な世界のことだと思う。
華女 この句は当時の人々の月山信仰の篤さが分からないと伝わってこないものなのかもしれないわね。