醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 105号  聖海

2015-02-28 10:06:01 | 随筆・小説

  男は寂しい

 居酒屋「此処(ここ)」の縄暖簾をくぐるとカウンターの端に一人、ウーロンハイを傾けている男がいた。背を丸め、大半が白髪の頭を垂れ、額には深い皴が刻まれていた。頭をあげるとママの方に目をやり話しかけることなく黙っている。ママもまた話しかけることはない。いつもニコニコしているが親しく話す飲み仲間はいない。
 どのようなきっかけで話し始めるようになったのか、記憶がない。いつものように我が家に帰るように居酒屋「此処」の戸を開けるとこの初老の男がカウンターに一人いた。「暖かくなってきましたね」といつしか挨拶を交わす仲になっていた。問わず語りに初老の男・Nさんが話し始めた。
 ちょうど、去年の11月の頃だったでしょうかね。家内と二人古利根川の畔に建つ売出し中のマンションを見に来たんですよ。10階の部屋に登りベランダから暮れなずむ景色を見て息を飲みました。夕日を浴びた富士山が赤く見えました。富士のすそ野の黒いシルエットが今も印象に残っています。案内してくれた不動産会社の人にすぐ手付金を払い、満足した気持ちに満たされていました。
 定年後はゴミゴミした東京を離れ、静かな所で老後を送りたいねと家内と話していたものですから、家内もこのマンションがとても気に入り、帰りは浅草でウナギを食べたことを覚えていますよ。家内のニコニコした顔を見ると私もいいことをしたなと独り満足していました。定年後の生活を思うと定年が待ちどうしいくらいでした。東京・豊島の自宅を処分したお金と退職金があれば、安心だなと思っていました。
 定年を十日後に控えたころだったでしようか。いつものように夜の十時ごろ家に帰ると家全体が真っ暗だったんです。家内も勤めが今日は遅くなっているのだろうと思い、玄関を合鍵で開け、電気を付けるとガランとした嫌な胸騒ぎが起きました。子供は男の子と女の子の二人です。二人とも結婚して別の家族を築いています。夫婦二人きりの家族になっていたんです。部屋に入って驚きました。家内の使っていた箪笥がない。衣服がない。布団がない。茶碗がない。最低限度の調理具と皿と茶碗、コップ類が残されていました。
 娘に電話をかけると教えてくれました。家内は都内に別のマンションを既に購入し、一人で老後を送る準備をしていたようなのです。私は全然気が付きませんでした。私はボーとしていたのですね。妻の気持ちなど考えたこと一度もありませんでした。しかしこれといった浮気をしたこともありませんでしたし、真面目に過ごしてきました。妻にこれといった苦労をかけた覚えもありません。ただずっと夫婦共働きで二人の子供を育てましたので子育てでは妻は大変だったかもしれません。それくらいですよ。私は転勤族でしたから山形・名古屋・香川と合わせれば十六・七年ちかく単身赴任していました。結婚生活は三十三年年になりますが、一緒に生活したのは実質的には十五・六年だったでしょうかね。
 娘に妻の電話番号を教えてもらいましたが、電話するつもりはありません。妻のマンションを訪ねるつもりもありません。何が気に入らなくて出て行ったのか。聞く気持ちにもなりませんでした。ただ呆れただけでしたね。
 定年を迎えて私は独りで古利根川河畔のマンションに越してきました。夕日に輝く富士山を眺めて癒されています。妻との思い出の品はすべて捨てました。妻と一緒に生活した品すべて捨てました。一切の家財道具をすべて捨てました。新しい第二の人生を始めるに当たって古い家具に嫌悪感がありました。ソファー、箪笥、テレビ、ベッド、布団などすべて新しいものを買い揃えました。預金はすべて妻に持って行かれていましましたが、退職金はすべて自分のものになりましたしね。私自身が会社に積み立てていた預金もありましたから老後の生活に困る心配はありません。一人の生活にも長い単身赴任の経験がありますから困りません。炊事や洗濯、掃除、日常生活は快適です。炊事や洗濯、掃除はどちらかというと好きなんですよ。気持ちがいいのです。まぁー、そうは言っても料理のレバートーリーが少ないものだから、夜は居酒屋「此処」さんに来るようになったんですよ。ここのママさんとても気さくで話しやすいでしょ。毎日、来るようになっているんですよ
 Nさんの話はテレビドラマで見たような話だった。この話には後日談がある。Nさんが健康を害したとき、息子は来たが奥さんと娘さんは来なかったという。