醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  96号  聖海

2015-02-19 10:24:35 | 随筆・小説

  慟哭の句か。 塚も動け我泣声は秋の風  追善句とは。

 私の気持ちに応えて、塚よ応えてほしい。私があなたにどんなに会いたかったか、その気持ちをわかってほしい。あなたが亡くなったと聞いて秋風のごとく悲しみにくれています。
 このような芭蕉の気持ちを表現した句でしょうか。小杉一笑という金沢では有名な俳人に会いたいと思って芭蕉はやってきた。芭蕉はまだ一度も一笑にあったことはない。それにもかかわらずにこのような句を詠んだ。なにか一笑からの手紙に芭蕉の心に触れるものがあったのであろう。江戸時代にあって手紙は今では考えられないほど人と人とを結びつける力があった。噂に聞く一笑の俳諧の力に学びたいという気持ちが芭蕉にあったのかもしれない。きっと芭蕉は人間関係を大事にする人であったのであろう。俳諧そのものが人と人との交わりを楽しむ遊びでもあった。そんな遊び事に芭蕉は命をかけた。
 芭蕉は「塚よ動け」とは詠まずに「塚も動け」と詠んだ。まずここに芭蕉の芸があるように思う。「よ」と「も」ではどのような違いあるのだろう。細見綾子の句に「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」がある。この「も」は「春の雪」も「ゆでていたる間」もという解釈でいい。「春の雪も」の「も」は省略されている。この「も」を読者に喚起させる言葉が「ゆでていたる間も」の「も」である。「塚よ動け」と詠んだのでは「我泣声も」のもを読者に喚起させることはできない。だから「塚も動け」でなければならない。
 「我泣声は 秋の風」の中七の言葉と下五の言葉の間に小さな切れがある。このことに気づかせてくれるのも「塚も動け」のもの働きである。「我泣声は」のは、「も」という意味をも表現していることに気付く。この句の解釈は塚も動いて私の言葉に答えて下さい。私が泣く声も私の哀しい思いを乗せた秋風になってあなたに語りかけています。どうか私に一笑さん、応えて下さい。こう解釈することで追善句になる。静かに故人を思う気持ちが表現されることになる。
 芭蕉学の泰斗、鴇原退蔵がこの句ははげしい悲しみの情をのべたと解釈したのに対して上野洋三は違和感を覚えた。この句は慟哭の句ではない。そもそも追善句とは静かに故人への思いを表現するものである。
 芭蕉の他の追善句を上野洋三は読む。
 なき人の小袖もいまや土用干し
 数ならぬ身とな思ひそ玉祭
 埋(うづみ)火(び)もきゆやなみだの烹(にゆ)る音
 火鉢の埋火も消え、悲しみの涙もなくなり、会葬の人もいなくなった。囲炉裏にかかっている鉄瓶の音だけが部屋にこだましている。会葬者のいなくなった棺の前で故人を思う気持ちが静かに表現されている。これが追善句なのだ。
 整えられ、鎮静された感情を表現してこそ此岸から彼岸に向けて故人が彼岸に渡っても幸せであってほしいという気持ちが表現されるのだと上野洋三は主張する。慟哭では追善にならない。
 この句を激情、慟哭を表現したものとするのが大勢の中にあってこのような解釈をしたのは勇気ある試みであろう。私もこの上野洋三の解釈に従ってこの芭蕉の句を鑑賞したい。