飲み友だちを見送った思い出の記
もう20年前のことになる。48歳の若さでセーさんは逝った。柩の蓋を開け、菊の花で遺体を包んだ。この時だった。居酒屋のママが誰憚ることなく号泣した。真っ赤に泣き腫らしたママの目を見て、奇異な感に私は囚われていた。隣りにいたM食品工業の常務さんが囁いた。「ママさんはセーと内縁関係にあったらしいよ」。
セーさんはその居酒屋で知り合った唯一の飲み友だちだった。長野の酒蔵見学を兼ねた一拍旅行を一緒した。その居酒屋では毎日のように一緒に酒を楽しみ、カラオケをした。地方出張に出た時は互いに地酒を土産に私の自宅で楽しんだ。唎酒の会に何回も一緒した。そんな付き合いが五年くらい続いていた。それなのにセーさんとママが内縁関係にあったことに気付くことがなかった。
若かったころのセーさんは女性職員の中にあって人気が高かった。中年になったセーさんにはその名残があった。私の飲み仲間の中でセーさんのあだ名は市長さんだった。端正な顔立ち、静かな言葉使い、整った綺麗な字を書いた。有名な東京の私立大学を卒業し、M食品工業に入社した。数年後、同じ会社の女性と恋愛をし、結婚した。結婚後も、奥さんは仕事を続けた。夫婦共働き、男の子が二人生まれた。幸せな生活だった。そんなある日の出来事だった。セーさんが家に帰るとガランとしている。胸騒ぎがした。奥さんと子供のものがない。どうしたんだ。奥さんと子供たちはセーさんを家に残し、出て行ってしまった。理由が分からなかった。セーさんがお酒を飲むようになったのはそれからだった。一人身の寂しさに酒を求めた。
「セーさんは律儀な人よ。奥さんと別れてから一度として子供さんへの仕送りを欠かしたことのない人よ。毎月12万円、子供さんが二十歳になるまで仕送りしていた記録が銀行通帳に残っていたわ。本当に真面目な人だったのよね」。
セーさんが亡くなり、独りその居酒屋の口開けに行ったとき、偶然私の他に客がいなかった。ママはセーさんを思い出したのか、話し始めた。
「こうノロケられちゃ、今日の飲み代はサービスかな。いつごろから付き合い始めたの」
「三年くらい前からよ。セーさんの部下にEさんがいたでしょ。彼がセーさんの手紙を届けて来たのよ。今度、一緒に食事をしませんか、とね。お誘いだったのよ。私、初めは、全然その気にならなかったのよ。何回か、お誘いがあったとき、私の友だちがしているレストランがあるじゃない。そこでのランチだったら、いいわよと、返事したのよ。それからだったかしらね。彼は正真証明の独身でしょ。だから安心して付き合えたのよ。奥さんがいる人だったら付き合わなかったわ。だって、面倒くさいでしょ。私も独身でしょ。ちょうどよかったのよ。月々五万円、いただいて彼の身の回りの面倒を見ていたのよ。部屋代、光熱費、全部彼が持ってくれたの。私は彼の部屋に居候していたようなものなの。本当に毎日が楽しかったわ。札幌の雪祭には二回行ったわ。沖縄で正月を迎えたこともあったわ。日本全国、行かなかった所なんてないくらいよ。いい思い出がこの胸に詰まっているわ。日曜日にはバドミントンをしたり、釣りに行ったり、遊ぶのに忙しかったわ。一緒に家に帰り、一緒にお風呂に入るの。私が全部彼の体を洗ってあげるのよ。彼、凄く喜んでね。まるで子どもみたいなんだから。毎日が楽しかったわ。でも、怒ると恐いのよ。でも子供っぽいのよ。本を何冊も重ねて、私の布団との間に積んだりしたね」。
ママさんのノロケ話しに尽きることがなかった。商売を忘れ、ウットリ彼方を見つめていた。