醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   79号   聖海   

2015-02-02 09:50:26 | 随筆・小説

   春は三々九度、旨い酒が呑めるな。

侘輔 ノミちゃんはもう三々九度は済んだのかい。
呑助 いや、まだなんですよ。せっつかれてはいるんですがね。
侘助 誰に。
呑助 いやー。言わなくちゃだめですか。
侘助 そういうわけでもないけどね。どうなの。
呑助 女にですよ。はっきりしてよと、逢うと言われるんですよ。
侘助 おお、ノミちゃん、隅におけないね。それも二・三人の女に言われているのかな。
呑助 いや、そんなことはないですよ。もちろん、二・三人ですかねと、言いたいところですが、高校の時からの女友だち一人からですよ。
侘助 長い付き合いだね。女としてもそろそろという気持ちになっているのかな。
呑助 そうかもしれませんね。
侘助 今じゃ、三々九度というと神社での婚姻の儀式の一つになっているけれども、三々九度というのは昔の酒の飲み方だったそうだよ。
呑助 へぇー、そうなんですか。どうしてまた、
侘助 昔と言っても室町時代の頃だそうだがね。その頃はお酒を普段に飲むことなんてできなかった。神社の祭礼、例えば千葉県の北部、このあたりでは今でもオビシャが行われているよね。
呑助 農家が中心みたいだけれど、街場でも古いお店が集まる飲み会をオビシャと言っているね。
侘助 もともとオビシャというのは年頭に弓を射ってその年の豊凶を占う神事だったそうだよ。
呑助 へぇー、そうなんですか。酒飲みと神事というのは切っても切れない関係なんですね。
侘助 神様の意向を伺い、聴いた後の直会(なおらい)が神様に捧げたお酒を下げ、頂く行事だったらしい。
呑助 人によっちゃ、飲み会のことを直会という人がいますね。
侘助 そうかい。昔は一人一人の杯というものがなかったらしい。大きな杯に並々とお酒を注ぎ、回し飲みした。参加する人の数にもよるが、おおよそ三回まわると大盃のお酒が無くなった。仲間の数が多くなると大盃を二つ用意した。一つは右回り、もう一つは左回りという具合に行ったようだ。一つの大盃のお酒が無くなるまで飲むことを一献といったそうだ。この大盃に三回お酒を並々と注ぎ、飲み干すことを三々九度といったらしい。
呑助 そういうのが三々九度の始まりですか。
侘助 大盃が回ってきたら、三口お酒を飲むのが仕来りだった。
呑助 そうですか。みんな自分の番になったときはガブッと大口あけてたっぷり飲んだんだろうな。
侘助 もちろん、この時とばかりに皆、たっぷり飲んだじゃないかと思うよ。だから、酩酊する人が多かったそうだ。
呑助 当時の人にとってはオビシャのような行事の時にしかお酒は飲めなかったんですかね。
侘助 そうだと思うよ。ほとんどの人がお酒を一人で晩酌するなんていうのは日清・日露の戦争後のことのようだよ。
呑助 それはどうしてですか。
侘助 戦争に行った兵隊たちにはふんだんに酒を軍隊は飲ましたんだ。大半の兵隊は戦争で酒を覚えたんだ。
呑助 日清・日露の戦争が日本の庶民に飲酒文化を広めたんですか。
侘助 明日をも知れない兵隊たちはへべれけになるまで三倍醸造酒を飲んだ。飲ん平が嫌われるようになったのも兵隊たちに広まった飲酒文化のせいかもしれないね。
呑助 旨い酒を味わって飲む飲酒文化はこれからですかね。
侘助 吟醸酒に親しむ文化はこれからなんだろうね。