醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵(じょうらくあん)だより  100号  聖海

2015-02-23 11:27:41 | 随筆・小説

  「おくのほそ道」序章についての一考察

句郎 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり」。この70字弱の文章に元禄時代が表現されている。芭蕉は元禄時代が表現したいと思ったことを聞き取った。こう考えているだけれどもね。
華女 「元禄時代が表現したい」。人でもない元禄時代が表現したいと思うはずがないじゃない。
句郎 そうかな。芭蕉とほぼ同時代を生きた木食上人・円空は樹木をみるとそこに仏の存在を感じた。その仏が乞うている。私を表現してくれと言っている。その声を聞いて円空は仏を彫った。
華女 円空は日本国中を旅して回り、大小様々な仏さんを彫って歩いたんでしょ。
句郎 歩いた距離や範囲では芭蕉を遥かに越えているようだよ。
華女 仏師とは凄いのね。
句郎 衆生済度、苦しんでいる民衆を救いたいという強い気持ちが樹木の中に仏の姿を見たのではないかと思うんだ。円空は僧侶になろうとして日々刻苦勉励に励んだ。樹木から仏を彫り出すことが円空にとっては僧侶になることであった。
華女 仏さんを造ることが円空にとって生きることだったのね。
句郎 芭蕉もまた元禄時代という時代が語りかけてくる声を聞き取り、この言葉を表現したんだと思う。
華女 元禄時代が芭蕉に語りかけてきた言葉とはどんな言葉だったの。
句郎 その言葉の一つが『おくのほそ道』冒頭の言葉だと思う。
華女 最初に月日は百代の過客だと言っているのよね。それがどうして元禄時代が発している言葉になるのかしらね。
句郎 そう思わないかな。元禄時代というのは町人の経済力が武士の経済力を上回っていく時代だったんだよ。江戸時代は身分によって人間を差別した時代だったでしょ。その差別を乗り越える経済力を低い身分の町人が力を持ち始めた時代だった。
華女 町人の経済力が武士の経済力を上回っていくということが「月日は百代の過客」という言葉とどうつながるの。
句郎 「月日」の月は、すなわちお月さまだよ。「日」は太陽だよ。「月日」とは天空を日夜地球の周りを巡っている太陽と月は歴史以来の旅人だと言っている。だから武士だろうが、町人だろうが、同じ旅人だと言っている。同じ人間だと言っている。これが元禄時代の声なんだ。
華女 なんか、私には飛躍した話に聞こえるわ。そんな風には思えないわ。
句郎 「行かふ年も又旅人也」でしょう。だから「年」もまた旅人だと言っている。同じ年を生きる人々は皆同じだという元禄時代の声を芭蕉は聞いた。
華女 句郎君が言っていることは通じているけれども何を言っているのか、意味していることは私には通じないわ。
句郎 そうなんだ。残念だなぁー。「舟の上に生涯をうかべ」と次に書いているよね。この「舟の上に生涯をうかべ」とは船頭さんのことだよね。船頭さんは紛れもなく、町人階層の人々だよ。町人階層の中でも下層の人々に属する人々だよ。更に「馬の口とらへて老をむかふるもの」とは馬丁のことだよ。馬丁さんも船頭さん同様町人階層の下の方に位置する人々だと思うよ。それらの人々もまた「日々旅にして旅を栖とす」と言っている。
華女 船頭さんや馬丁さんが身分制社会の江戸時代にあってはきっと町人階層の下の方の人々だということは分かるわ。
句郎 そうでしょ。それらの町人階層の下の方の人々が「古人」と同じだと言っている。「古人」とは西行や宗祇のことを言っている。西行や宗祇という人々は貴族だよ。華族かな。歌を詠んだ人々はほとんど貴族だよ。貴族だからこそ歌が詠めた。文字が読めた。文字が読めなければ歌は詠めない。当時船頭や馬丁は文字が読めなかった。目に一丁字ない船頭や馬丁が貴族や武士と同じだと芭蕉は元禄時代が言っているという声を聞いた。このことを述べているのが「おくのほそ道」冒頭の文章なんじゃないかなと思う。
華女 句郎君の理解は文学的な解釈とは違うんじゃないかという印象があるわ。
句郎 残念だなァー。