「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 この句に季語はあるの、それとも無季の句なの
華女 「おくのほそ道」に載せてある湯殿山で芭蕉が詠んだ句に季語はあるのかしらね。
句郎 「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」。この句の季語は「湯殿」、季は夏らしいよ。
華女 私が持っている歳時記には載っていないわよ。
句郎 歳時記にもいろいろあるからね。山形県内で出回る歳時記には夏の季語として掲載されているらしい。
華女 季語は地方によって違うの。
句郎 日本は南北に長い国だから地方によって季語が違うということは良いことなんじゃないかな。
華女 元禄時代の出羽地方では羽黒山、月山、湯殿山に詣でる人々が多かったのね。
句郎 役小角(えんのおづの)が開祖だと云われる修験道は9世紀ごろから密教と結びつき奈良時代に隆盛を極めた仏教の改革が始まった。ちょうど漢字から仮名文字が生まれ、仮名文字で書かれた源氏物語が誕生する。ここに国風文化、日本独自の民俗文化が広まっていった。
華女 季語「湯殿詣」と関係があるのかしら。
句郎 もう少し、我慢してくれないかな。文学の世界で日本独自の文化として源氏物語が生まれたように平安時代になると中国から入ってきた仏教が日本化していく。それが修験道と結びついた仏教、山岳仏教としての密教なんだ。これは同時に神仏習合でもあった。
華女 まだだいぶ長そうね。眠くなってきそうだわ。
句郎 つれないこと言うなよ。日本に古くからあった宗教思想と中国から伝わった仏教とが融合することによって外国伝来の宗教が日本の宗教、仏教になった。だから日本の密教開祖の一人、空海は弘法大師さまとして今でも日本人のスーパーヒーローとして絶大な人気を持っている。
華女 修験道は仏教と結びつき、弘法大師というスーパーヒーローが生まれ、平安時代から現代にいたるまでずっと人々の心を捉えてきているということを言いたいわけなの。
句郎 うん、元禄時代にはそうした出羽三山詣でが当時の民衆に広まって行った時代だった。元禄時代の商品流通の普及は同時に出羽三山詣での普及でもあった。出羽地方での湯殿詣での流行が実感できないと芭蕉の句「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」がわれわれの心に響いてこないのではと思う。
華女 当時の人々にとって湯殿山に詣でることはカトリックの秘跡のようなものであったのかしら。
句郎 そうなんだ。湯殿山全体がご神体になっている。特に湯殿山神社本宮には社殿はなく、熱湯の湧き出る「岩」が御神体そのものになっている。この山で体験したことは「語るなかれ」「聞くなかれ」と今でも戒められているようだ。
華女 法隆寺夢殿の秘仏みたいね。
句郎 実際は写真をネットで見ることができる。もちろん、現地へ行けば見ることができる。
華女 なぜご神体を「語るなかれ」「聞くなかれ」と禁止したのかしら。
句郎 ご神体を見ると分かる。そのご神体はお湯を噴き出す赤い巨岩なんだ。このご神体が女性の下半身に似ている。だからタブーが生まれたのでは。
華女 そんなことからタブーっていうものが生まれるのかしら。禁止するから良くないのよね。なんでもないものをね。
句郎 月山が「月の山」なのに対して湯殿山は「恋の山」と云われ、「恋」の歌枕になった。「こひの山しげきを笹の露わけて入初(いりそ)むるよりぬるる袖かな」と藤原顕仲(ふじわらのあきなか)が詠んでいる。
華女 意味深な解釈ができそうな歌ね。
句郎 神仏習合の深い信仰に包まれて初めて芭蕉の句が味わえるのかな。湯殿山のご神体を拝み、感動の涙が袖を濡らしたというくらいだから。信仰なしにご神体を見ると淫らな笑いが出てきそう。