醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   81号   聖海

2015-02-04 10:03:47 | 随筆・小説

 
  苦かった酒もいつかは甘い酒になる

 忍ぶれど色に出にけり盗み酒
            詠み人知らず
妻 お酒飲んできたの。
夫 いや、飲んでいないよ。今日は、事務連絡だけだったよ。
妻 誰と飲んできたの。
夫 だから飲んでいないと言ったじゃないか。
妻 駅前で一人、飲んできたの。
夫 うん、赤提灯に誘われてね、ついふらふらと暖簾をくぐったんだ。
妻 何杯、飲んだの。
夫 軽く、一杯だよ。
妻 つまみは何だったの。
夫 おでんを二つぐらいかな。
 家を建てた頃、こんな会話を家内としたことがある。家内は今でも千円札一枚を持ってスーパーに行ったというような話をする。私も持ち金がなく、飲み会を断ったことがある。不思議と惨めではなかった。

 論語孟子を読んでは見たが酒を飲むなと書いちゃない
                       詠み人知らず
 アルバイトの金が入るとあらかた使って二日酔いになった。試験の前日でも友だちがいると酒を飲んだ
酒を飲んでは政治と哲学を語った。最後は堕ちた話になった。政治や哲学の話には何のリアリティーも無かった。ただ互いに解ってもいない知識を披瀝しあっただけだった。ただ妙に堕ちた話は現実的だった。友だちと張り合ったガード下の飲み屋の娘とデートしたというような話を聞くと悔しかった。どこまでしたんだとしつこく問い詰めた。

 酒飲みは如何なる花の蕾やら行く先毎にさけ、さけ、さけ
                         江戸の町人
 若かったころ、職員旅行に行った。東海道新幹線に乗って京都に行った。新幹線に乗ったと同時に早速酒盛りが始まった。周りには酒を飲んでいる人は一人もいなかった。六人掛けのところは特に賑やかだった。
私もその中の一人として缶ビールを飲み、その後、一升瓶から酒をついで飲んだ。車窓から朝日に映える富士山を眺めながら酒を飲んだ。
京都に着き、南禅寺で豆腐を食った。その時も酒を飲んだ。街中の旅館に入り、風呂に入って宴会をした。宴会が終わると初めて先斗町のバーにいった。そこではウイスキーの水割りを飲んだ。先輩職員が研修旅行の下見で開拓したところだと言っていた。その同僚は帰り際、ホステスさんと軽いキスをした。畜生、面白くねぇー。持てない男同士で飲み直した。翌日、朝食が終わると解散だった。私は一人奈良に向かった。中学時代の友を訪ねたが会うことはできなかった。

 腹がたつときゃ茶碗で酒を飲んでしばらく寝りゃ直る
                       詠み人知らず
 言うこととすることが違う同僚先輩に指導されたときほど腹が立ったことはない。言い返せなったことが悔しくて同輩と二人、飲み屋に繰り出し、茶碗酒など飲んでほざえた。ママさんがよく話を聞いてくれた。それで一晩寝れば元気になった。毎日、毎日、勉強に忙しかった。苦しかった。プレゼンテーションに立って、初めて何も知らないことを知った。漢字も満足に書けないことが分かった。いつになったら楽になるのか、皆目検討が付かなかった。十年が過ぎ少し仕事が分かってきた。仕事が楽しくなったのはそのころからだった。