醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵(じょうらくあん)だより 101号 聖海

2015-02-24 11:19:50 | 随筆・小説

  冬の芽やめぐみ孕みてふくらみぬ   聖海

 自然の摂理を受け入れたら自然のめぐみを得ることができた。
 寺田啓佐著「発酵道」を読み、このような感想をもった。寺田啓佐さんは、千葉県神崎町の酒蔵の蔵元である。「五人娘」という銘柄の酒を醸している。20年ほど前になるだろうか、近所の酒販店でなんとなく手に取り買い求めたことがある。飲んでみてとてもおいしかったという印象が残った。それ以来、「五人娘」というお酒は脳裏からはなれたことがない。だからといっていつも買い求め、飲み続けてきたのかというとそうでもない。千葉県のお酒というと、「岩の井」「腰古井」「東薫」、なかでも特に「腰古井」は、軽快でのどごしがよく、買い求めては飲んだお酒である。
寺田さんは私と同世代の方である。大学に立て看板が立ち並んでいた頃である。テレビ番組で見た寺田さんのソフトな優しい話しぶりに好感がもてた。その番組で紹介されていた本が「発酵道」である。興味をもち、買い求め読んでみた。
 この本の最後は「ありがとうございます」という日常生活で使い古された平凡な言葉で終わっている。私はこの言葉を読み終わったときに落涙してしまった。「ありがとうございます」という手垢のついた言葉が胸に沁みたのである。きっと寺田さんの気持ちがこの言葉にこもっていたから寺田さんの気持ちが私に伝わったのかなと思う。
 酒造会社が競争をしては、いいお酒は醸せない、と寺田さんは言う。凄い主張だ。競争することが安価で良い
製品を消費者に提供すると世の人はみな言う。学校でもそう教える。神の見えざる手が働いて人々の生活を豊かにする、と政経や現代社会の授業で講義する。この中にあって、寺田さんは競争しないという。助け合うことが大事だという。微生物は助け合っている。微生物は自分が好き。自分の役割を心得ている。自分の役割を終えると、次の微生物にバトンタッチしていく。そうして微生物が恵んでくれるのがお酒なのだという。
 お酒を腐らせてしまう火落ち菌にも何か役割があるのではないかという。肯ける話だ。徹底的な消毒は良い菌も殺してしまう。徹底的な消毒に疑問を投げかけている。納得する話だ。
 学校にあっても徹底的な消毒をすることに私は疑問をもつ。1人1人の生徒が学校のなかにあって自分を好きになれる場をつくらなければならない。1人1人の生徒が学校の中に居場所があり、役割がなければならない。生徒間の競争を煽るようなことをすれば、生徒たちは孤立し、心を閉じてしまう。これは学校が腐っていくということだ。生徒同士は協力し、助け合い、礼儀をわきまえるなら学校は発酵を始めるにちがいない。しかし、現実は悪いとみなした生徒を他の生徒から隔離し、徹底的に生徒の非を責める。最終的には排除する。これは酒造りにおける消毒のように思う。消毒しなければ、悪い菌が蔓延し、学校が腐ると恐れている。
 国際社会も同じではないかと思う。今、アメリカを中心にした国々は有志連合を組みダーイシュを亡き者にすべく爆撃をしている。この措置は発酵道における消毒の思想ではないだろうか。消毒はよい菌をも殺す。国際社会にあって消毒は菌を蔓延させてしてしまうだろう。ダーイシュが壊滅した後、ヨーロッパ諸国からターイシュに参加した人々は自国に帰り、テロをするだろう。テロが全世界に蔓延するのだ。
 勇気をもって自然に任せる。自然の摂理にしたがって、自然の恵みをいただくという精神は学校にあっては生徒を信頼するということ、国際社会にあっては全世界諸国民衆を信頼するということだ。勇気をもつということは自然を信じること、生徒を信頼すること、民衆を信頼することでもある。