『おくのほそ道』より、今生の暇乞いを詠む芭蕉「物書て扇引きさく余波(なごり)哉」
華女 「物書て扇引さく余波(なごり)哉」。芭蕉は何を詠んでいるのかしら。
句郎 そうだよね。この句だけを読んでも分からないよね。
華女 それとも元禄時代の人にとっては分かったのかしらね。
句郎 どうなんだろう。現代の我々と同じように分からなかったのではないかと思う。
華女 そうよね。句を読んで伝わらないのは句としてどうなんだろうと思う
わ。
句郎 そうだよね。他人様に伝わって初めて句だよね。
華女 私もそう思うわ。芭蕉の句にも何の注釈なしに伝わってくる名句があるけれども、伝わらない句もあるということよね。
句郎 そうだね。この句は『おくのほそ道』の本文を読むと分かってくる部分もあるよ。
華女 『おくのほそ道』の本文に芭蕉は何と書いているの。
句郎 「金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送りて此処までし
たひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて」て書いている。
華女 金沢の北枝(ほくし)はどこまで見送ったの。
句郎 今でいうと金沢から福井県丸岡の天龍寺までほぼ一日、北枝は芭蕉の伴をした。
華女 今では考えられない見送りね。
句郎 江戸時代の人にとって遠くの人との別れは今生の別れだったんだろう。
華女 日本人がアフリカの小さな町を旅して仲良くなった現地人との別れのようなものだったのかも。
句郎 そうだったんだろうな。
華女 句郎君、この句の季語はどれなの。
句郎 扇じゃないかな。
華女 「扇」は夏よね。でも夏じゃ、おかしいんじゃないの。
句郎 「扇引裂く」と詠んでいるから、いらなくなった扇、「秋扇」のことを言っているんじゃないかな。
華女 「秋扇」ね。天皇の寵愛を失った女ね。
句郎 「秋扇」には、そんな意味があるんだ。
華女 そうよ。季語「秋扇」には人生の哀しみが色濃くあるんじゃないの。
句郎 そうか。生きる哀しみかな。
華女 そうよ。独り秋の景色を眺める哀しみよ。
句郎 芭蕉のこの句の意味が分かってきたような気がしない。
華女 そうね。いらなくなった扇を引裂き、引き裂いた紙に何を書いたのかしら。
句郎 「物書て扇引さく余波(なごり)哉」と書いたんじゃないの。
華女 そうか。この句は北枝との別れに詠んだ挨拶句だったのね。
句郎 そうなんじゃないかな。北枝はこの挨拶句に何と応えたのか、分からないけれども七七の句を書いて芭蕉に渡したのかもしれない。
華女 互いに別れの挨拶句を書き合い、渡しあったということなのね。
句郎 そんなことを想像したんだけれどね。
華女 芭蕉は北枝さん、本当にお名残りおしゅうございます。ここまで見送っていただきありがとうございました。こんな気持ちを込めた句なのよね。
句郎 多分。そうだよ。