『おくのほそ道』より「月清し遊行のもてる砂の上」 芭蕉
句郎 旧暦の八月十日前後(新暦9/23ごろ)に芭蕉は敦賀の宿でお酒を頂き、夜風に吹かれながら気比の明神に参拝した。
華女 今の気比神宮と言われている所ね。
句郎 福井県敦賀市にある神社だ。越前一の宮といわれ、戦前官幣大社といわれた神社のようだ。
華女 大変な権威ある神社だったのね。
句郎 芭蕉は「仲哀(ちゅうあい)天皇の御廟也」と書いている。神社の門前に立つと神々しい雰囲気に包まれる。松の木の間から月光がもれている。神社に敷き詰められている白砂が一面の霜のように見える。このような神社に夜、お参りした。その時の句が「月清し遊行のもてる砂の上」だった。
華女 「遊行のもてる砂の上」とは何なかしらね。
句郎 「田一枚植て立去る柳かな」と芭蕉が蘆野の里で詠んだ柳を「遊行柳」と言っている。これは謡曲『遊行柳』からきているが、「月清し遊行のもてる砂の上」。この句の「遊行」は遊行上人のことのようだ。
華女 「遊行上人」とはどんな人かしら。
句郎 僧侶が布教や修行のため各地を巡り歩くことを「遊行」と言った。
華女 昔のお坊さんは、みんな日本各地を巡り歩いて布教して歩いたんじゃないの。
句郎 うん、でも特に布教や修行のために日本各地を巡り歩いたお坊さんというと奈良時代では東大寺を建立に大きな力を発揮した行基がいる。平安時代の終わりごろになると弘法大師・空海が四国各地を巡り歩き、布教すると同時に修行した。それが現在のお遍路さんとなって残っている。鎌倉時代の中ごろになると空也上人、時宗を起こした一遍上人が有名だ。江戸時代、芭蕉と同じころ生きたお坊さんに円空がいる。円空仏で有名なお坊さんだ。また『チベット旅行記』を残した河口慧海も遊行僧かな。
華女 観光旅行の旅ではなく、僧侶の遊行、旅は修行・布教・学びが一体化したものだったようね。
句郎 芭蕉の旅もまた、人間の真実を追求した。
華女 人間の真実を芭蕉は追求したから芭蕉の句は文学になったのかもしれないわね。
句郎 そうかもしれない。「遊行のもてる砂の上」の「遊行」とは一遍上人が唱えた念仏をして日本各地を巡る僧侶を「遊行僧」と言ったようだ。念仏を唱えることが楽しかったんだろうね。きっと。一遍のことを「遊行上人」
ともいうようだ。
華女 巡り歩くことを楽しんだのよね。
句郎 修行を楽しむ。芭蕉もまた句を詠む楽しさを満喫してた。
華女 楽しみながら、厳しい旅をしたのね。
句郎 江戸時代は神仏習合だったから、一遍の教えを受けた「遊行二世の上人」、他阿上人が大願を発起し、参道がぬかるみ、雑草が繁茂したのを刈り、土石を運び入れ、砂を撒いた。こうして参道が立派になったので参拝者が
足元に苦しむことがなくなった。このことを「遊行の砂持」と言ったようだ。
華女 神々しい月光が遊行上人によって盛り土された上に撒かれた白砂に降り注いでいる。そういうことを詠んだ句が「月清し遊行のもてる砂の上」という句だったね。