『おくのほそ道』より「名月や北國日和定なき」 芭蕉
華女 お月見に芭蕉は格別の想いがあったみたいね。
句郎 どうも、そのようだ。
華女 「十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ」と、わざわざ「おくのほそ道」に書いているところを見ると敦賀でお月見をしようという意志のようなものが芭蕉にあったということよね。
句郎 そうなんだ。十四日は中秋の名月の前夜だものね。
華女 「その夜、月殊晴(つきことにはれ)たり。『あすの夜もかくあるべきにゃ』といへば『越路の習ひ、猶明夜の陰晴(いんせい)はかりがたし』」と「おくのほそ道」に書いているわ。
句郎 今日と同じように明日の夜も晴れるでしょうかねと芭蕉は宿の主人に尋ねているんだものね。
華女 「十五日、亭主の詞(ことば)にたがわず雨降」と前書きして「名月や北国日和定なき」と残念な気持ちを表現しているわけよ。
句郎 「名月や」と心に描いたお月見をしたんだろうね。
華女 雨夜のお月見に俳句の味が出ているのかもしれないわ。
句郎 今夜は雨夜の月見だよと、自分を笑っているということかな。
華女 お月見というのは年中行事の一つでしょ、こうした年中行事に想いを寄せる気持ちが芭蕉は強かったのかしら。
句郎 芭蕉だけでなく、当時の人々一般が年中行事を待ち焦がれる気持ちが強かったんじゃないかと思う。
華女 お月見という行事が庶民にまで広がったのはいつごろからだったのかしらね。
句郎 お月見という行事が広く農民や町人にまで広がったのは元禄時代だったのじゃないかな。
華女 お月見という行事は古くからあるんでしょ。
句郎 中国にあった行事を日本が真似たんだろうね。奈良時代の遣唐使が伝えたのじゃないかと思う。
華女 唐時代の詩人、李白に月を詠んだ詩があるじゃない。
句郎 李白の「静夜思」とか「月下独酌」かな。
華女 「牀前 月光を看る疑ふらくは是れ地上の霜かと 頭を挙げては山月を望み 頭を低れては故郷を思ふ」こうした月を詠んだ詩が広まることによってお月見という行事が生まれ、広がっていったのじゃないかと思うわ。
句郎 唐時代の詩人が月を詠むことがお月見という行事を普及させたのかな。
華女 文学は社会に大きな影響を与えるのよね。
句郎 そうなんだろうね。
華女 中秋の名月というのは満月のことなんでしょ。
句郎 初秋、秋、晩秋と三分すると秋の満月のことを中秋の名月という。
華女 中秋の名月を静かに愛でたお月見がいつかお酒を楽しむ行事になっていったわけよね。
句郎 きっと元禄時代の頃にお月見が町人の行事になった頃にはお酒を楽しむ娯楽だったんだろうね。
華女 「あるじに酒すすめられて」と芭蕉は書いているわ。
句郎 農民や町人にとって今のように娯楽が満ち溢れていたわけではなかったから、お酒が呑めるというだけでお月見を待ち焦がれた人々が大勢いたのかもしれないなぁー。
華女 男はそうだったんじゃない。女の人がお酒を楽しむなんて当時は遊女ぐらいだったんじゃない。