明治150年に思う⑩
句郎 米ソ冷戦が東アジアにおいてはアメリカの中国封じ込め政策として展開した。日本政府はアメリカの中国封じ込め政策に積極的に協力させられた。
華女 私たちが若かったころの話ね。ベトナム反戦運動が日本全国の大学で起きたのを覚えているわ。
句郎 保守的な発言をしていた先生たちが今大学には言論の自由がないとブツブツ言っていたのが思い出されるな。
華女 そんな時代があったのね。
句郎 韓国政府もアメリカが行ったベトナム戦争に協力させられてベトナム人民軍と韓国政府軍は戦った。がしかし、日本は憲法九条を盾にして軍隊の派遣を拒否できた。日本国憲法九条は自衛隊員の戦死者を出すことなく、事なきを得た。
華女 アメリカは自国兵隊の戦死者を出したくなかったのね。それで韓国の兵士をベトナムに派遣するように働きかけたということなのね。同じようにアメリカは日本の自衛隊員をベトナムに派遣し、戦わせたったが日本国憲法が邪魔したということ
だったのね。
句郎 そういうことかな。
華女 アメリカが日本に押し付けた憲法がアメリカの外交政策の邪魔をする。アメリカ政府は日本政府に憲法の改正をするよう圧力を加えるようになっていったということなのね。
句郎 戦後アメリカ占領軍は日本の再軍備を懸念して日本国憲法九条を書いた。がすぐ日本の戦争勢力を過大評価したことに気づき、憲法を改正するよう対日政策を変えているんだ。日本国憲法は一九四六年十一月三日に公布され、六か月後の翌年一九四七年五月三日に施行された。この日本国憲法が施行される四か月前の二月一日にゼネラルストライキが国鉄労働組合などを中心に労働運動が盛り上がっていたが、このストライキを占領軍司令官マックアウサーは中止命令を出した。日本の民主化政策を進めたことをアメリカ占領軍はすぐ反省しているんだ。戦後アメリカ占領軍が日本の民主化政策を進めたのはほんの一、二年のことだった。それでも労働組合運動をはじめとして日本の民主化を求める運動は大きく盛り上がった。
華女 その後、日本の民主化を求める運動が進まなくなったのは、日本政府がアメリカの意向を受けて民主化運動を弾圧するようになったからなのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。自民党が憲法改正を党是としているという。これはアメリカ政府の意向を受けてのことだと思うよ。憲法九条がなかったら、アメリカは日本の自衛隊員をベトナムに派遣し、米兵の戦死者を少なくすることができたわけだからね。
華女 朝鮮戦争が起きたから自衛隊が結成されたという話を聞いたことがあるわ。
句郎 そうそう、朝鮮戦争のため在日米軍を朝鮮半島に派遣すると在日米軍基地を守る軍隊がいない。それでは困る。その結果自衛隊が創設されたようだ。
華女 そうなの。自衛隊とは日本人や日本国を守るための組織じゃなかったの。
句郎 そうではないみたい。米軍基地を守る武装組織、それが警察予備隊、自衛隊の前身組織だった。