『おくのほそ道』より「文月や六日も常の夜には似ず」 芭蕉
恋心を詠む越後路 文月や六日も常の夜には似ず
華女 句郎君、越後路で芭蕉が詠んだ句「文月や六日も常の夜には似ず」。この句は何を詠んでいるのか、全然分からない句ね。
句郎 文月というと何月のことだったっけ。
華女 文月は七月のことを言うのよ。
句郎 七月というと季語は夏だよね。
華女 あら嫌だ。句郎君。文月は秋よ。
句郎 あっ、そうか。旧暦じゃ、七月はもう秋か。
華女 そうよ。七夕には短
冊に思いを込めた文をしたためたのよ。だから七月を文月と云うらしいわよ。
句郎 「文月や」と読むと当時の人々にとっては七夕が来るんだなァーと云う気持ちが湧き出てくるんじゃないかな。
華女 「六日も常の夜には似ず」とはなんなの。
句郎 分からないかな。イヴだよ。
華女 あっ、そうなの。七夕の前夜ね。
句郎 イヴというと若者は盛り上がるでしょ。カップルなんか。特にね。
華女 分かったわ。普段の
夜じゃなく、気分が盛り上がる夜ということね。
句郎 明日は七夕だ。華やいだ気配が漂う中に吹く夜風に秋がにおう。季語、文月の本意はこんなところにあるんじゃないかな。
華女 元禄二年七月七日というと新暦の何月何日になるのかしら。
句郎 八月二一日になる。文月は秋の気配を感じ始める頃だね。
華女 古今集、藤原敏行が詠んだ歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の頃ね。
句郎 そうだよ。芭蕉が小松で詠んだ句がある。「あかあかと日は難面(つれなく)秋の風」。
華女 この「文月や」の句には秋の気配は詠み込まれていないね。いや、季語「文月」そのものに秋の気配があるのかもしれないわね。そうよ。そうなのよ。「文月や」と詠んだだけで秋の気配が漂うのよ。
句郎 そうかもしれない。七夕の前夜でさえも華やいだ気分になるということか。
華女 明日、織女は牽牛と逢えると思うだけで気分が盛り上がったんだわ。
句郎 当時の若者たちは七夕の夜に逢瀬を楽しむ風習があったのかもしれないな。
華女 ちょうど、今のクリスマス・イヴみたいなものね。芭蕉はそんな若者たちの気持ちに添ってこの句を詠んだのね。